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もう一つの人生を考える時

とても話題になっている光浦靖子さんのエッセイについて、首がもげるほど頷いてなお勝手に思うことがある


清々しいくらいに等身大の自分を見つめた光浦さんの言葉には僭越ながら私にも身に覚えがありすぎる

私自身は27年間の長きに渡り会社勤めをしていたが、ずっと真面目に頑張ってたのに思うようにならない、こんなはずじゃなかったと早期退職、脱サラして単身、東京から札幌に丸腰で移住したのが48歳の時だった

当時は私も叶えていない、きっと選べたはずのもう一つの人生を回収できるのではないかと思っていた

そして生活環境を完全リセットしてからあっという間に早5年半経ち、どうなったかというと・・・


変わらないものは変わらない

おぼろげに描いていたもう一つの人生というのはマボロシだった

相変わらず単身だし、これといって目立って世間に認められることもなく、完全フリーなので定収入もなく不安定極まりない生活を続けている

つまりイメージしていたようなもう一つの、多くのひとが手にしているらしい普通の人生など何ら回収していないのである

環境を変えたからといってそうそう性格が変わるわけではない

人は恥をかきそうなことからは「自分には向いてない」としていくらでも逃げ続けるものであり、乗り越えざるを得ない状況に立たされ、新たな経験をすることでしか性格の枠は外れないのである


もうあの頃の分岐点ではない

分岐点だったと思われるところに戻ったつもりになってみても、自分にもその分岐点にも長い時間が経過していてもうあの頃の分岐点ではないのだ
そこにリトライしてみたところで、当然のことながらあくまでこれまでに積み重ねてきた人生の延長上であり、戻ることなどできはしない

では長いこと単身で生きてきた自分には普通に家庭を持って過ごしてきた人よりも何かが欠けているかというと決してそんなこともないわけで

家庭を持った人たちと同じだけの時間に、単身の自分にしかできなかった得難い経験を間違いなく数多してきたと自負している

普通(ここでは結婚、出産、家庭を持つこととしておく)じゃない経験がたくさん出来ているということは、それは一般的な流れだった人には出来なかった、その人たちがどこかで諦め、回収したいかもしれないもう一つの人生を生きてこれたということである


マボロシの向こう側へ

脱サラしてから自分と向き合い心理カウンセラーになる過程で私はようやく自分に足りないと思っていたものは足りないまま、歪なままで完全であるということが腑に落ち現実の見え方が変わってきた

少なくとも誰もが毎瞬毎瞬それなりに自分で最良の選択をしてきた結果がその人の人生になっているので自ら選択しなかったもう一つの人生というのはマボロシであり、その上で選択してこなかったものが引っかかってるならいつからでも新たに選択すればいいし

過去を回収したい、しようとするのも今を生きる一つの最良の選択であることに間違いないとともに、マボロシをマボロシと認められると心の角質が落ちて自分らしさを取り戻すことができる

結局は人はどう生きても最良の選択にしか成り得ないので安心してみんな思うままに生きていけばいい

勇気を出した分だけ「世界はここだけじゃない」も確実に体験できるのだから


たった一人でもやりたいことをすればいい

光浦さんには得意の手芸も思い切りやっていただきたいなと思う
今、クラフト作家もやってる私にはこれも他人事ではない

自分一人で完結する大好きなことがある、というのはくじけそうになった時に確実に自分を支えてくれるのを経験として知っている

内側から湧き上がる、誰かがやってるからではなく一人でもやりたいことを大切にしている人は他人の目を気にせず勝手に幸せになれるし、勝手に幸せになれる人はいつの間に周りの人も幸せにしてるということを信じられると現実の見え方が少しずつ変わり始めるのだ





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