発達障がいは個性か問題

*当記事を書いている主は全ての発達障がいについての専門知識がある人間ではありません。タイトルの主語が大きいですが、個人の一意見としてサラッと読んで頂きたいです。また、後半については特定の記事を指すものではありません。

私は軽度ADHD(不注意優勢型)の診断を受けており、現在薬を飲みながら生活している。精神科を受診し、テストの結果が出た後に診断がおりたのが高校1年生の冬で、その病院には大学生になった現在も毎月通い続けている。


自分は何か変だなと思い始めたのは中学校に入ってからだった。
中学受験組で小学校では優等生だったのに、第一志望だったその中高一貫校に入ってからその自信は徐々に瓦解していき、高校生になる4年目にはもう学年底辺を自覚するようになっていった。

まず中1の初中間テストから悲惨だった。幾何なんて平均−23点だった。(当時ショックすぎて未だに覚えてる)
その後も学年が上がるにつれ、勉強に限らず予定管理や提出物、部活動など色々なことがあまりにも出来なさすぎて、だんだんと(自分にはなにか障がいがあるのでは…?)と思うようになった。
しかし、それなりに悩んでいた中2のある日、そのことを友達に話したら
「あんまそういうこと言わないほうがいいよ、本当に障がいの人に失礼だよ」と言われた。


先に断っておくが、私はこの友達とは親しく、高校を卒業した今でもとても仲の良い大切な友達だ。別にこの友達を否定するつもりはない。
しかし、当時の私はこの言葉に傷ついた。確かにグサッときた。血の気が引いたあの時の感覚は忘れていない。

私自身、その時友達に軽い気持ちでその話をしてしまったのは事実だ。
でも、私は確かにそのことで困っていたし悩んでいたのだ。怒りとか悲しみとかの前に、ショックというか、本当に頭をガーンと殴られたような感じがした。

数年後にまたその友達とそんな感じの話になり、内心ビクビクしながらADHDの診断を受けたことをサラッと話したが、確かその時にはそっか〜くらいの反応しかしてこなかったので少し安心したことも覚えている。


前置きが長くなりすぎたが、本題に入ろう。


自分でADHDを疑い始めてからネットでも関連記事や動画をみるようになる中で、私がずっとモヤモヤしていたことがあった。

それが、

「発達障がいは個性である」

という文である。


これはもうお決まりなんかってくらい、特にADHD関連の記事の最後あたりに書いてある。何となくこれが毎回引っかかっていたのは私だけだろうか。

別にこの考えだってあくまでもその記事を書いた人個人の意見であるといえばそりゃあそうだろうし、いちいちつっかかるなんて面倒なヤツだと思う方もいるだろう。それでも私はこの違和感について考えたかった。

結論からいうと、私は「発達障がいは個性である」という考えに賛成出来ない。全否定はしないが正直そうは思えない、というのが私の意見だ。
私はこの考え自体の是非を問いたいわけではなく、使われる場面・言う人・ニュアンスこそが問題だと考えている。

例えば、「ADHD(など発達障がい)の診断を受けたけど、どうしても受け入れられない!どうしよう、私っておかしいんだ、障がいなんだ…」
と診断を受け入れられず苦しんでいる人へかける言葉としてはわりと適切なのだと思う。もちろん受け取り方は人による、というのは大前提で。

ただ、私が声を大にして言いたいのは、
「発達障がいで困っている当人に対して、無責任に個性だと言うのはやめてほしい」ということだ。

例えば、「ADHDによる困りごとが日常生活へ多大な支障をきたしていて本当に困っている」というような人が散々悩んだのち記事に辿り着き、その記事の最後に「でも、発達障がいも立派な個性です!そんなに重く考えすぎず、個性だと胸を張って生きましょうね〜(仮)」みたいなことを言われたら、どう感じるだろうか?
「いやその個性で困ってるんだが???」と実際に私は思ってしまった。
私の苦労をそんな一言でおさめようだなんて綺麗事だ、とさえ感じた。

私は、「障がいは個性だ」という考えが嫌なのではなく、その考えを第三者の立場から困っている当人に「良かれと思って」言ってくるのが嫌なのだ。
所謂「普通」(便宜上そう書きます)の道、大通りからちょっと横道にそれて、ここから自分なりの道を探そうと必死で地図を考えている最中に無理矢理「大丈夫大丈夫!個性だから!!」と合わなかった大通りに合流させようとしてくるイメージだ。
しかしこれを言ってしまえば、自ら周りに線引きをし、当事者しか発言出来ない息苦しい構造を作り上げてしまうのも分かっている。そんな世界は私も望んでいない。

だから、周りの人達には、その考えを押し付けないで頂きたいのだ。
当人は実際に困っている。
ならばそれを当人以外が「個性だから大丈夫!✨」と気易く言ってはいけない。それは慰めではなく時に歩み寄りの放棄とすらとれてしまう、というのが私の今の考えだ。


この手の話題は注目が高まっている上非常にデリケートでもあります。
私自身そのあたりには注意を払って書いたつもりですが、もし気を悪くされた方がいらっしゃったらすみません。

結局、何の話にしても相手を尊重する姿勢が一番求められるということですね。この問題についても、また色々な視点で考えようと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?