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Mid90s鑑賞めも

1990年代半ばのロサンゼルス。13歳のスティーヴィーは兄のイアン、母のダブニーと暮らしている。 小柄なスティーヴィーは力の強い兄に全く歯が立たず、早く大きくなって彼を見返してやりたいと願っていた。 そんなある日、街のスケートボード・ショップを訪れたスティーヴィーは、店に出入りする少年たちと知り合う。 彼らは驚くほど自由でかっこよく、スティーヴィーは憧れのような気持ちで、そのグループに近付こうとするが…。(公式HPより)
 

ひとはなぜか棒を持つと強くなったような気持ちになる

 母子家庭で育ったイアンとスティーヴィー。イアンは弟のスティーヴィーを暴力で支配し、隙あらば搾取しようとしている。
 スティーヴィーはそんな兄を恐れる反面「強い男」として憧れてもいる。こっそりイアンの部屋のCDラックをチェックして、兄が持っていないコレクションをプレゼントしたりする、愛され上手なちゃっかり者。
 イアンは、ネグレクトだった母親がスティーヴィーの誕生を境に母親らしくなったことを僻み、その差分を回収するために弟に辛く当たっているのではないか。部屋のディスプレイからもわかる通り、彼はとても几帳面。だらしない母親を恥ずかしく思っていて、自分が家庭の秩序にならなければとプレッシャーを感じているのかもしれない。

 スティーヴィーは歳上のスケボー仲間からパシリとして迎え入れられ、大怪我や違法行為(タバコ、酒、ドラッグ、不法侵入など)と引き換えにステータスをあげていく。悪行をためらわないことが「強さ・男らしさ」と見なすようになる。そんな折、ファックシットに喧嘩を売り損なったイアンを見て、惨めだと感じてしまう。

 グループの年長者・レイは、そんなスティーヴィーに事故死した弟をオーバーラップさせているのか、可愛がる反面、彼がこちら側にハマっていくのを憂慮してもいる。家庭のことで悩むスティーヴィーに「お前はオレたちより恵まれている」と諭す場面も。貧しい家庭に生まれついた者が貧困や犯罪に塗れた生活の連鎖から抜け出すことの難しさをわかっているから、スティーヴィーにはその一線を乗り越えてほしくないという気持ちが垣間見える。
 レイは、親友のファックシットが実は両親からハーバード大学への進学を勧められていた知り、劣等感から距離をおくようになる。将来への不安や、家庭という受け皿を持つファックシットへの反発から、一発逆転はプロになるしかないと考え、プロスケーターにリクルートを始める。

 90年代半ばのLA。音楽はスタジアムからストリートへ。拳でオーディエンスを鼓舞するマッチョなロックから、夢を追いかけない、頑張らない、ゆるくダメに生きる、享楽的で破滅的なグランジやヒップホップへ。

 スティーヴィー役のサニー・スリッチ君のイノセントな雰囲気には、タバコもお酒も全くマッチしてなくて、見ていて辛かった。
 こどもは棒を持つとなぜか無敵になったような気持ちになるもの。スティーヴィーはスケボーという「棒」を得た。それは彼にとってはシェルターでもあった。兄のイアンとレイだけは、下駄を履いた分背が伸びたように見えるだけとわかっていたのだろう。

 ギャングでもない多くの若い人たちが人生を斜めに見て、最初はちょっと見栄を張るだけのはずが、ダークサイドにあっさりドロップアウトした時代だった。
 本作は、ジョナ・ヒルが若い人たちへ送った優しすぎる負のモチベーションかもしれない。


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