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A GHOST STORY

アメリカ・テキサスの郊外、小さな一軒家に住む若い夫婦のCとMは幸せな日々を送っていたが、ある日夫Cが交通事故で突然の死を迎える。妻Mは病院でCの死体を確認し、遺体にシーツを被せ病院を去るが、死んだはずのCは突如シーツを被った状態で起き上がり、そのまま妻が待つ自宅まで戻ってきた。Mは彼の存在には気が付かないが、それでも幽霊となったCは、悲しみに苦しむ妻を見守り続ける。しかしある日、Mは前に進むためある決断をし、残されたCは妻の残した最後の想いを求め、彷徨い始めるーー。
(公式HPより)

自分が遺したものは無意味なのか
叙情的カメ止め
どこからが「死」なのか

2つの執拗な長回しのシーン

一つ目は、突然鳴ったピアノの音に飛び起きた二人が再びベッドに戻り、抱擁しあうシーン
特に盛り上がるわけでもなく、キスをしたり身体をさすったり鼻をこすりつけ合ったりするだけなんだけど、慈しみ合うふたりがとても美しい
二つ目は、Cが亡くなったあと、差し入れられたパイを1ホール丸ごと食べようとするシーン
Mは日常生活を取り戻そうと努める一方で、強い喪失感を抱いている
どちらもふたりが深く愛し合っていたことの象徴的な場面

メモが遺したこと

Mは子供のころしたのと同じように、小さく折りたたんだメモを隠した
通った道にパンくずを落とすようにして、元いた場所に立ち戻りたくなったときのための目印にした
記憶の断片を、思い出のいたるところに仕掛けることで
自分の存在を証明したのでしょう
パーティーのシーンで、ある男性が行った大演説の中で
「すべての創造物には存在する意味がない」というんだけど、Cはそれにすごくイラッとしていて
だから、意地でもMが家を去る時に柱に隠したメモをほじくり出そうとしたかったのかな

叙情的カメ止め

メモに執着するCは、家が取り壊されてビルが建ってもそこに居続けるんだけど、当然メモは手に入らない
それで、時代を行きつ戻りつして、今度は死ぬ直前のC(自分)とMをゴーストになった自分が見つめることになる
カメラは止まらない
深夜、二人を驚かせたピアノの音は、ゴーストになったCが立てた音だった
カメラは止まらない
そして、事故を起こしたCはシーツを被ったゴーストになり、
開いた天国の扉をスルーしてMのいる家に戻る
カメラは止まらない
Mの残したメモを取り出そうとするゴーストのCを見守るゴーストになったCというシーケンス(場面がループすることで時間の経過を示すシーンはいくつかあった)
カメラを止めないで

どこからが死なのか

なにをもって「死」とするのか
本作の視点は亡くなってゴーストになった人におかれている
Cは事故で亡くなっているので、もちろん終活もしていないわけだから
その分現世に未練があったのかもしれないけど、
自分の存在の証明(=メモ)を見つけたことで、未練を断ち切ることができた

では、遺された方は?
映画のあと、そのことばかりを考えていて、亡くした人を思い出したりしている

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