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Sundae May Clubを語ろう

ある日の浦小雪(Sundae May ClubのVo.フロントマン)のブログにこんなことが書いてあった。

浦の裏ブログより一部抜粋

人は大なり小なり何かを諦めて生きている。
妥協と呼ばれる事もあれば、選択と称される事もある。
『選ぶということは捨てるということ』これは私が10代の終わりにある人に言われた言葉だった。
思い返すと若さというのは傲慢で強欲で怖いもの知らずなものだとつくづく感じるようになった。全て計算の上、想定通りに人生を歩めるほどほとんどの人は賢くないし、それこそ本当につまらない人生になってしまう。
だからこそ、この若さの持つ特性こそが人が一歩踏み出す力なのだと若さを失って強く思い知らされる。
たくさんの失敗は、たくさんの想定を可能にさせ、踏み出す一歩に足枷をつなげてくる。

いくら年老いても10代20代は経験しているので、若い恋愛くらいは想像できるんだけど、それよりもやはりこの軽さが最高な訳です。
きっと悩みのキツさって年齢で変わらないんだと思うのよね。その年齢その年齢のキャパいっぱいに悩む訳ですから。

(ちなみにサイダーの向こう側を上下逆さまにしたいなら、普通のコップではなく底の丸いグラスを使ってみましょう。サイダーの屈折率は水と同様なので、グラスを使って凸レンズにするのがおすすめです)

欲張りだからこそ満足しないし、歩みを止めない力強さ。
この力強さは高校時代生徒会合宿時のレクリエーションでの肝試しに率先してリーダーシップを張ってくれた女の先輩を思い出します。
歳を取って社会人になっても、仕事上で当然肝試しのような場面はある訳ですが、予備知識が余計な想定を呼び起こしてしまい、「嫌だな〜怖いな〜」と稲川淳二になってしまうんです。いつの間にか、想定外を楽しめない臆病者なってることに気づく訳です。

60〜70年代のロックは嘆きでした。
80〜90年代のロックは怒りでした。
00〜10年代のロックは不安でした。
サンデメは令和ロックの一つの解だと思って聴いてるんですね。
内省的であり、孤独であり、音楽的には軽快でありつつ楽器的基礎がしっかりしていて比較的短い曲。
そんな中リリースされたこの曲を聴いて出てきた世界観はイルカさんでした。

全部欲しいし選びたくない捨てたくない強欲な浦小雪が、全部受け止めるよ!とパワフルに歌いながらどんどん忘れちゃうぜ!って歌っちゃう諸行無常な真実の歌。

ちなみに一番言いたいことはイヤホン忘れたら他に手がつかなくなるってこと(こゆラジオにて本人談)押忍!

もうね、言う事ないんです。このメロ嫌いな人って居るん?
最近浦さんは少しお姉さんキャラの立ち位置からの歌詞が多いような気がします。
そう、誰もが歳をとる訳です。
何も捨てない選ばない全部欲しい浦小雪から自然に忘れ去られるものも当然多くあって、残った結晶が今の彼女でありサンデメの曲な訳です。ゲームのようにはコンプやカンストなんて人生には無いわけです。

サンデメのテーマって全部のアルバムに入ってて欲しいと思うくらい好きな曲です。サンデメはVo.以外は就職してしまっていて、なかなか自由な活動は取れないのが現状です。国立長崎大学出身なのでいきなり音楽にフルベットするというのは本人たち的にも親御さん的にも難しかったのかも、、と邪推してしまいます。 しかしファンの僕らはこれだけの技量と魅力があるバンドは絶対成功すると信じています。確かに彼らは謙虚さが売りであったとしても、もう少し浦さんが言うような強欲さ=傲慢さがあって欲しい。

例えばイカロスの翼という神話では、しばしば過信が失敗の元のように語られますが、(その前にダイダロスとイカロスを幽閉してたクレタ王ミノスの方が大問題だろ!!というのは気持ちはわかるがひとまず置いておいて) この神話の中で、傲慢は失敗を招くが、傲慢こそが勇気の根源とも説いています。

(太陽に近づきすぎて溶けたという蜜蝋の部分、実は湿気も大敵だから海にも近づくな、と言われているところを見ると実は蜜蝋ではなくニカワだったんじゃないかというどうでもいい説もあります。必殺、諸説有り!)


同じギリシャ神話の中にパンドラの話があります。
パンドラが開けてしまった箱から、恐怖や妬みや災害や貧困、病気などあらゆる厄災が世の中に解き放たれてしまいます。慌てて閉めた箱の中から、パンドラに問い掛ける声がします。
「こんこんこん、開けてください、私は希望です」
この話っておかしいと思いませんか?
パンドラは箱の中から希望を出してないんですよ。
逆にあらゆる厄災は箱から飛び出てこの世に厄災が広がったのです。
パンドラの箱に希望だけが残った、めでたしめでたしってなるわけないでしょう。
実はこの希望というは原文では『前知魔』という悪魔です。
この世のあらゆる出来事を予見し、前もって知らせてくる悪魔のことなんです。
だからこの世のあらゆる厄災には予兆がないし、当然良いことにも予兆は無いのです。
そう、前知魔が世の中に飛び出なかったからこそこの世には『希望』が生まれたのです。先のことはわからない、想定外だらけの世界。最高じゃないですか

星の王子さまを書いたサン=テグジュペリは人類に最後に罹る病気は希望である、と残しました。
これはちょっと皮肉が効きすぎてますが、きっと我々は老若男女、生まれた時から希望を食べて生きているんだと思います。


結局サンデメも浦小雪も我々ファンからすれば希望そのものな訳です。

おわり
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