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~守るべきは? 見極めるべき本質とは~「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか」著書紹介

8月に出版された「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか」(鴻上尚史・佐藤直樹著:講談社現代新書)。

コロナで監視や排除の感情、差別・偏見があぶりだされ、日本社会の「同調圧力」について書かれた本です。既にお読みになっている方も多いと思いますが、今の時に、改めてご紹介できればと思います。

第3波の到来‐。年末に最も稼ぎ時の飲食店が22時までの時間短縮を要請され、お店を営む方々のお気持ちを考えると本当に居た堪れません。都内の大型オフィスビルも半数近くのテナントが撤退してしまったところも少なくありません。「医療崩壊の危機」が叫ばれていますが、空気が乾燥し、ウイルスが繁殖しやすいこの時期…。感染が拡大するのは、最初から分かっていたことではなかったのではないかと疑問に思うのです。’気の緩み’と国民を責めていますが、対策をしてこなかった、政府の危機意識の‘緩み’ではなかったとも思えてしまいます。国民が安心材料を得られるというより、利権も見え隠れするようで、なんともグレーなままで道筋も未来も見えてこないように感じます。

自殺率の増加も然り。事を、未来を予見して、策を講じるのが本来の政治の姿ではないか…と、考えます。国民を管理するのが、政治家の仕事なのか?と疑問に思うのです。

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さて、コロナ禍で、「同調圧力」という言葉が話題になりました。著書では「同調圧力」は「世間」から生まれたと伝えています。

まず、「自粛」について。「禁止」にしてしまえば、自ずと補償をセットにせねばならない、という前提があり、海外では「禁止」と「補償」がセットになっている。ところが日本では令を下す政府が責任をとらずに国民に責任を押し付ける形で、代わりにこの「世間」に「同調圧力」をかけてもらうことで、自粛せざるを得ない空気をつくっている、といったことがあるのです。

「世間」というのは、日本人が集団となったときに発生する力学のこと。

親から親戚から近所から『世間様が~』『世間体が~』と聞かされてきた、その言葉…。進路、就職、結婚…。それらを取り巻くものに「世間」というものがまるで、呪縛のようにつきまとい、本来の判断基準を惑わしていなかったか、本当の人生を生きることを阻まれることさえなかったか・・・そんな疑問を持たざるを得ません。

著書では、「世間」と同調圧力が生まれた歴史的な背景、紐解くべき理解と知識も得られるのと、今必要なこととして、世間に目を向けるのではなく、もっと総体的な「社会」へ意識を向けること、を示しています。

海外にはどうかというと、「世間」という概念はない。日本は「世間」と「社会」の二重構造になっている。ところが、日本ではこの「同調圧力」が作用して、災害時には、海外のように暴動が起こりにくい、といった利点もあるともあります。

著者は、日本社会で「インディビジュアル(individual)」が発展していけば、世間ではない「社会」とのつながりが見えてくるとあります。

日本では、個人という意味においては「personal」の方がなじみがあるかも知れません。「インディビジュアルは、「個々人の」の意味を表す語で、個々の人が持つ権利、自由、要求など抽象的な事物について用いられることが多い語で‘個人の意思’を示すような意味もあります。

横を見て、隣を見て、同じ行動を起こすこと、判断基準を「世間」にするのではなく、自ら考え、動くこと。

ハンナ=アーレントのことを思い出します。ナチスのユダヤ人大虐殺を行った根源的な悪は、‘考えること’を放棄した凡庸な人間が起こしたという衝撃的な事実を主張したアーレント。また、著書「人間の条件」では、「労働」「仕事」「活動」の3つの要素が揃って人間の条件であるとされていますが、このうちの’活動’こそが、政治参加であると説きました。

社会に意識を向けること、世間ではなく社会に対して‘ことば’を持つこと。

テレビから流れる情報を鵜呑みにするのではなく、「世間」に惑わされるでもなく、「社会」に意識を向け、世間という‘部分’での理解でなく、‘全体’を踏まえて、未来を軸に判断していくこと。そんなことが大事と伝えているのかと思います。

次回は、著者のお一人の佐藤直樹さんが影響を受けたという、日本で初めて「世間学」を研究された阿部謹也さんの「世間とは何か(講談社現代新書)」をご紹介したいと思います。

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