「なんか思ってたのと違った」出産の話②
「無事生まれてくれればそれでいい」は思考停止。出産体験の満足度は駆け出し母としての自己肯定感にめちゃめちゃ関わってくるので、貪欲にお産に満足しに行きたい。どうせケーキ食べるならおいしいケーキ食べたいでしょ。
前回①のまとめ
ざっくりまとめると、
・すっぽんと産むという根拠のない自信とともにはじめての出産
・出血多量、会陰裂傷などのダメージはありつつも想像より痛くなく、時間も短く産めて安産っちゃ安産だった
・しかし第二子の妊娠を機に自分のはじめての出産を振り返ったら「同じようには産みたくない」と感じた。満足してなかったことに2年越しで気づいた
「うまくやってやる」とは思ってたけど、気合いだけでどううまくやってやるのか具体的なイメージやテクニックを持ってなかった。気合いそのものは大事だけどね。
前回は「自分の意志が尊重されるお産がよかった」というところでまとめたけれど、今回の記事を書きながらそこに至るまでいくつか段階を踏んでいることが自分でもわかってきたので、今回は「なんか思ってたのと違った」と感じることになった理由を現在の知識経験をもとに反省しつつ振り返ってみる。
1. 実はみんな潜在的に理想のお産を持っている
みんな理想を持っていると断言されると、いや自分はお産に対してそこまで考えたことない、イメージを作り上げてないと思われるかもしれないけど、「自分が産むならこんなのがいい」はうっすらあるはず。
「今日夕飯何食べたい?」
「なんでもいいよ」
「じゃあパスタにしようかな」
「パスタか…パスタはちょっと違うな」
と同じ(そんな乱暴な)。
そしてよく考えると肉じゃがが食べたかったりする、みたいな。
理想の出産のイメージは生まれてから今までにそれこそ潜在意識に塵のように積もっている、見たり聞いたりしてきたこと、映画やドラマのイメージ、思い込み刷り込み、もともと持っている価値観、性格などから出来上がっている。もちろんひとりひとり違うものだ。
例えば「無事生まれてくれたらそれでいい」というのは真理でもあるけど、「無事」の定義は人によって違うものだ。
究極な話、母子共に命があれば無事といえるのか?痛みがあったらどう?陣痛がめっちゃ痛いのは無事に入る?時間がめっちゃ長いのも無事に入る?会陰切開はどう?裂けちゃうのはどう?分娩の途中で帝王切開に切り替えることになった場合にその意思決定が自分抜きでされてしまっても無事と思える?産み終わったあと子供も母体もぴかぴかだとしても、たとえば誰かにかけられた言葉で心が傷ついていてこれから育児する自信を失っていても、無事といえる?
これこれこうだったけど無事に生まれてよかったよね、というのは全てを包む優しい言葉でもあるけれど、逆に言えばそれ出されたらなにも言えないですよねーという印籠のような言葉でもあるのだ。産前にそれを出すのはある意味思考停止ともいえる。
そんなわけでなにをどう無事と(潜在的に)考えているのか、自分はどういう出産ができたらハッピーだと思えるのかを洗い出す機会となるのがバースプランである。
2. バースプランを立てるときに理想を掘り出しきれなかった
そんなわけで産婦本人がどんな出産をイメージしているのか病院側とコンセンサスをとるためにバースプランを書くよう促す出産施設が今はかなり多いのではないかと思う。
とはいえ現代の初産婦がほとんどそうであるように「バースプラン 書き方」とかでググってそれっぽいものを書くだけでは潜在的な理想まで深堀りするのはなかなか難しい。かくいう私が妊婦本とグーグル先生に導かれてはじめて書いたバースプランはこんな感じだった
・夫の立ち会い出産希望
・会陰切開その他医療処置はなるべくしたくないけど、必要ならしょうがない。するなら教えてほしい
・かけたい音楽とかアロマとかはない
・へその緒は夫に切らせたい
・カンガルーケアってやつやってみたい
・なるべく母乳育児の方針
・母子同室、個室希望
悪くはないというか、可もなく、不可もなくというところだろう。それっぽいのを書くのはそんなに難しくない。これだけでもいいと言いたいが、これだけでは私は満足しなかったわけなので今後バースプランを立てる方に伝えたいのは、バースプランきっかけでお産のことをもっと知るべし!ということだ。
敵を知らなければ戦えない。傾向と対策。
このバースプランを出産未経験の夫婦ふたりで相談すると、目隠しでキャッチボール並みの空中戦が展開することになりがち。「こんなの書くんだって」と病院でもらってきたバースプランの紙を夫に見せても、夫はふーんで終了である。だって産むのあなたでしょ。好きにしていいよ。それも確かにそうなんだけど、妻の方は自分の身体に起こる未知の体験に不安200%なわけで、しかも好きにするってどうやって??あなたの子でもあるでしょうという展開だ。でもなにが起こるかわからないといわれている出産で「どうしたいですか」と聞かれても、わからないことがわからないのだ。闇雲もいいところである。
ここ話し始めると長いのです。なにしろこの辺を仕事にしているので、じゃあどうやってバースプラン考えたらいいのよちょっと助けてと思う方はぜひご連絡ください。プリパレでやっております。(宣伝)
3. 「思ってるお産」に近づくためにはおまかせではいけない
それっぽいバースプランを病院に提出して臨んだ私のはじめての出産では、バースプランの内容はしっかりクリアされていた。
なんだクリアされてるんじゃんとお思いのみなさま、私もそう思います。でも満足してないの。最大によくなかったポイントは「病院におまかせ」だったこと。
出産予定日を過ぎて、この日に誘発しましょうと言われてそれをハーイと素直に受け入れ、入院当日投薬されながらベッドにただただ横たわって「痛くならないねー」とどこか他人まかせ、子宮口全開間近のタイミングでお産を進めるため歩行を促され「トイレ行かせたわ」と他のスタッフに報告されたのを屈辱的に感じたこと、自分で何もお産が進みそうなことを仕掛けないでおきながら「すっぽんと産む」と思っていたこと、今から振り返るとすべて気持ちが受け身すぎた。
自分一人で産むわけではないのは当然で、もちろん助産師さんやドクターのヘルプやリーダーシップが必要な場面ではその知識技術経験に頼るけど、産婦がお産のリーダーになれているかどうかでバースプランも自ずと変わるし、お産への取り組み方が変わると充実感満足感も変わる。
だから自分の意志が尊重されるお産がいいなと。
だって満足って、とっても主観的なことでしょう。あなたが満足しているかどうかは他人に決められることではない。
そして出産体験に満足しているかどうか(≠バースプラン通りかどうか)は冒頭にも述べたとおり、駆け出し母の自己肯定感にめちゃ関わってくる。出産体験の自己評価が否定的だと産後うつになりやすくなってしまうという研究もされているそうだ。幸い不満というほどの経験ではなかったし「なんか違った」と思えたのも2年後だったくらいなので産後うつにもならなかったけれど、育児の初期に自己肯定感が高いってとても大事だと思う。
今回この出産レポを改めて書いてみて8年越しのバースレビューになった。3人産み終わり、バースドゥーラとしての勉強も経てはじめてのお産を振り返ったけれど、ほんとにいつまでも鮮明に覚えているものなんだなあ。
機会があれば2人目3人目ではどうだったのかも書いていきたいと思います。
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