公案について

禅には公案というものがある。
内的な探求をする上での本質的なテーマのようなものである。
公案は臨済宗のもので、曹洞宗では用いないと一般に言われるが、必ずしもそういうわけではない。臨済宗でも、盤珪さんのように公案を使わなかった人もいれば、曹洞宗でも公案を用いる場合がある。曹洞宗で公案を用いないと言っても、禅の祖録は随分と勉強・研究しているものである。

公案は、一つの試験問題のようにしてしまうから、その魅力を失うので、生きたエピソードとして見るならば、これほど貴重で面白いものはないように思われる。公安を絶対視するのもおかしな話だが、かと言って、これを軽視していては独りよがりの禅になってしまいかねない。公案そのものに問題があるのではなく、それを取り扱う扱い方、扱う人の在り方のほうが問題なのだろう。

公案と言っても、いろいろな種類、またそれぞれの目的がある。
まず、ひとつの見性(けんしょう; 悟りの一瞥というほどの意味)と言われる体験を得さしめようとする公案もあれば、その見たところのものを実際の働きに移してゆくためのもの、また言語として表現する訓練をするもの、さらに悟った後すなわち悟後の修行のためのもの、人を導くためのもの等々もあるかもしれない。人間のあらゆる問題が、公案群の中に集約されている。世界遺産にしても良いくらいのものだ。

49の歳に、私が禅に戻ってきた時、最初に参禅させていただいたのは、円覚寺派の中島安玄老師(横田南嶺老師の兄弟子にあたる)であった。あまり有名な老師ではないかもしれないが、類まれな実力とオーラを備えた、また至誠の禅マスターであった。この老師については、すでに何がしかのことを書いたことがある。この老師に参禅するにあたって提出した経歴書には、龍澤寺や般若道場での参禅、またインドのOSHOに古くから参じたこともはっきりと記しておいた。安玄老師は、途中で体調不良のため引退されることとなり、私が参じたのは2年に満たないものとなった。

さて、出戻り中年禅者である私は、法身(ほっしん)の公案からやり直しをさせられた。法身はダルマカーヤを漢訳した言葉だが、禅では、差別を絶した仏性の世界というほどの意味になるだろうか。法身の公案は禅の基本であり、三昧、一つであること、を体得させようとするものだ。これには「無字」や「隻手音声」、「父母未生以前、本来の面目」などの公案がある。

私の場合は、老師に相見(しょうけん; 面接すること)した折、インドに行ったこと、庭の仕事をしていること、そして、ある趙州の公案までやったことがあるという話をすると、老師は「・・・それでは庭前柏樹子(ていぜんはくじゅし)を見てもらいましょうか」と言われた。庭前柏樹子とは、ダルマさんがインドからやって来た意味は何か、という問に対する趙州和尚の答えである(庭のビャクシンの木だと答えたのだ)。なるほどこれは当然の連想であったかもしれない。
「これは言葉で呈する公案ではありません」と老師は言われた。言葉で言ってはいけないというのだ。では何で言うのか? 私の猛烈な坐禅が始まった。月に一回の参禅であったが、1年ほどでそれが許されると、次の公案(それは金剛経の中の一節であったが)では、一転して、「この公案を言葉を使ってどう言うか」、と詰め寄られた。体験を今度は言葉ではっきり表現せよというのである。哲学科を出られた老師だけに、言い得ないものを何とかして言語化することの大切さを教えてくださった。表現が熟すことによって、体験もまた深まって行くものなのだろう。

このように、公案というのは、それぞれにある目的、狙い目を持っているものなので一様なものではないのである。公案は、伝統のマスターたちが出したものと同じ見解(けんげ)に至って、はじめて透過を許される。公案は、「公府の案牘(あんとく)」というのが語源で、すなわち、公の(裁判)文書のことであるという。私情で勝手な解釈が許されない、公正でユニバーサルな真理というほどのことになるだろうか。公案の是非を論じても仕方がない。瞑想者その人の是非、探求の在り方が問われているのである。

(ALOL Archives 2016)


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