現代と瞑想9 気

妙心寺派管長の河野太通老師は、東京禅センターや千葉の鹿野山で我々になじみの深い老師である。鹿野山の摂心では、禅の指導のかたわら太極拳をもご指導いただいている。老師が神戸の祥福寺僧堂師家を勤めておられたころ、楊名時師範に出会われて習い始められ、今日に至るまで続けて来られるとともに、ご自分の弟子にも教えてこられたのである。動く禅(動中の工夫)として、うってつけのものとお考えのようである。楊名時師範の娘さんである楊慧師範と共著で「太極の心」(二玄社)という本も出しておられる。太極拳のような中国の武術では「気」という概念が重要になってくる。

禅が現代において「気」に接近したもう一つの例をここで取り上げてみたいと思う。
平野宗浄(ひらのそうじょう)老師(1928-2002)という方は、松島瑞巌寺の僧堂師家をなされ、また花園大学教授や禅文化研究所の所長をも勤められた方でもあった。著書も多く、とくに一休禅師に関するものがたくさん見られる。一休禅師ゆかりの大徳寺真珠庵で出家なさったご縁のためであるのだろう。
この老師は、西野流呼吸法を創始した西野皓三(にしのこうぞう)氏に師事して、その呼吸法を学ばれたのである。瑞巌寺のある松島からたびたび熱心に、東京渋谷の西野塾に通われたもののようである。
私もインドに長期滞在する直前の短い間だったが、習いに行って、インドでそれを実習していたという経緯がある。

この西野流呼吸法というのは、瞑想家にとってきわめて注目すべき呼吸法であり、その真髄は禅にきわめて近いものと考えられている。西野皓三氏という人は、まことに特異な経歴をもった人である。はじめ医学を志し大阪市立医科大学で学んでいたが、在学中バレエに魅せられ、アメリカのメトロポリタン・オペラ・バレエスクールに留学、自身優れたバレリーナとなった。帰国後西野バレエ団を設立、テレビの世界にも進出するなどして成功を収めた。50を過ぎてから突如仕事をすべてやめて、武道の世界に踏み込み、はじめ植芝吉祥丸師より合気道を、ついで澤井健一師より太気拳(中国拳法)を学び、5年間一日も休むことなくただ真髄を求めて精進を重ね、ついに免許皆伝となったのである。
さらにそこに留まることなく、医学、バレエ、合気道、中国武術から学んだものからインスピレーションを得て、そうして編み出されたのが、西野流呼吸法(バイオスパーク)というわけなのだ。
バレエ、合気道、中国拳法、呼吸法いずれもの弟子である由美かおるさんが紹介した事があるのでご存知の方も多いのではないだろうか。

次回以降この西野流呼吸法について少しだけ述べてみたいと思う。

(ALOL Archives 2012)


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