見性?


H道場(静岡県裾野市)の先輩であるIさんに出会ったばかりの頃である。私はまだ20代の半ばであった。Iさんは以前に少しだけ紹介させていただいたことがあるが、私より10歳ほど年輩の方であり、「見性(けんしょう)」してから禅門に入って来られたという異例の方である。ここで見性というのは、悟りの一瞥というほどの意味であるということにしておきたい。(大悟徹底の意味で使われる場合もあり、文脈によって異なってくることがある。) いろいろと話をしているうちに、Iさんは私にこんな事を聞いてきた。
「角(かど)さんは、いつ見性したの?」
「えっ?いや、私は見性なんてしていませんよ」
Iさんはしかし納得していないようだった。私が隠しているとでも思ったのだろうか。あるいは時に大口をたたく私を見性したものと勘違いしたものだろうか。
それにしても禅の伝記などを見ると、ついに見性したといって歓びのあまり夜通し踊りまくったなどという話がある。そんな一大転換点をもし経験していたのなら、苦しみや悩みからすっかり自由になって、明るさ一杯になって満ち足りているはずなのではないだろうか。その時には瞑想や坐禅を始めて数年を経過していたが、そんな心境には程遠い自分であったのだ。
そんな問答を何度かやり取りしたのち、とうとうIさんはこのように断じた。
「見性しても見性したことに気付いていない人がいるものだ」と。
私は、首をかしげるばかりで、何とも答えることができなかった。
 
ずっと後になってからのことだが、よく考えてみると、もし見性だろうと言われれば見性のはしくれと言えなくもないかなという経験を一つ思い出した。忘れていたわけではないのだが、見性という言葉では考えたことのないものだった。またその経験の性質上、人に言うのも憚られるように思われ、誰にも話したことはなかった。今それを語るにしても躊躇われるものがある。まあ、これを読む方は、戯言と読み流していただければと思う。
あれはまだ大学生の頃、インドの瞑想を始めて間もない時のことだったと記憶する。当時は非常に不安定な精神状態で、どん底に沈んだかと思うと、急に高揚感に包まれたり、自分でも自分が手に負えないような困難な時期だった。
ある時何かの用事で中野に行き、帰りに中野の駅から中央線の電車に乗り込んだ時のことである。日中のことで、車両の中にはそう多くの人が乗っていたわけではなかった。と突然、車内に腰かける縁もゆかりもない人々に、私は無性に親近感というのでもない、言ってみれば慈しみのようなものを感じた。それは異常な体験であり、それを言い表そうとすると大げさな表現になってしまうことを避けられない。
慈悲という言葉に「悲」という文字が入っているが、それは悲しいまでの深い思いやりの心、何とか人々の苦しみを取り除いてあげたいというような心、そういう心がその時炸裂して、一瞬それは花開いた。それは初めての経験だったが、どこかに故郷のような懐かしさがあるようにも感じられた。それは極楽浄土の景色であったかも知れない。観世音菩薩が降りてきたというのではない、ある意味わたしが観世音そのものであった。それは何分間続いていたのかはわからない。一駅分くらいではなかっただろうか。
そのような精神上の異常な出来事は、私に次のような二つの考えを起こさせた。
一つは、あれは私の本性(普段は内奥に隠されたままになっていて、現れてはこないもの)がたまたま何かの拍子に姿を現したのだと。衆生本来仏であるところのそれである。
もう一つは、これはまだ現在の私なのではなく、遠い未来(おそらくは何生も生まれ変わった後)の自分の姿なのだろう、と。これは一種の予言的体験なのだ、と。
 
Iさんが見性ということで意味していたことが、このような体験のことだったとしたなら、それはそうなのかも知れない。それは本当の一瞥に過ぎず、その体験が通り過ぎて行った後は、元の愚かしい自分自身に戻ってしまったことは言うまでもない。しかしこのとき見た自己の本性は、その後の瞑想生活の底流となって流れ続けてきたようにも思う。
この経験の後に、龍澤寺で鈴木宗忠老師に相見(しょうけん)することになるのだが、おそらく老師は、こういった私の体験(未熟なものであったが)の内容を見抜いていたのではないだろうか。それで「まず苦を抜け」、そして「苦を抜くという大悲の心に目覚めよ」と示されたのではなかったと思う。
 
見性と言っても、それは達成でも終着点でもなく、むしろ何生にも渡って歩んでいく旅のひとつの出発点・旅の行先を示すマイルストーンのようなものに過ぎないのではないだろうか。

(ALOL Archives 2013)

 

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