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シュタイナー教育①【矢板】



くしくも、娘の誕生日から、始まった栃木県矢板での住み込みで1年間の「シュタイナー教育教員養成講座」。そのあとは、そこにシュタイナー学校を開くという予定でした。


初めの頃は、結構たくさんの家族や独身者がいました。20人以上だったような…4人家族で入居した方達が3家族(お父さんかお母さんが先生希望)、子供と一緒の母親に、独身者さん、ただし、最後に残ったのは12人。そのうち教師養成者は5人…

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私がいちばん惹かれたのは、イギリスとオランダにひと月の研修が入っていることでした。ほかに、講師の先生は、イギリス人やオランダ人、日本人と様々で、お一人、1ヶ月くらい一緒に住み込みで、その方の得意分野の授業をしてくれるという具合でした。



現役を退いて、まだ、元気一杯で、バリバリの先生もいらっしゃいました。オランダの先生は最高でした!ちょっとお太りの先生は、温泉に絶対入らない…

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「ネクストライフで」というのが口癖で、いっときみんなの中で流行しました…でもなんと最終的には、温泉に入ることができました〜。日本人って意外と見て見ぬ振りが上手です…



このプログラムの代表者は、Sさん。二人のお子さん(ひとりは手助けが必要)がイギリスのシュタイナー学校に通っていて、ご実家がこちらで…ということでした。

ここに学校を作って呼び寄せたかったようです。その頃お子さんたちはイギリスの宿舎でした。



この講座は、使っていない古い小さな校舎を市から借りて行われました。住むところは、家族別に、教室を仕切って2段ベットをおいていました。

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私の部屋には、小さな折りたたみ式の机と椅子にちゃぶ台…布団は2組持ってきました。小さなタンスは購入しましたが‥


みんないっしょに住み込みの共同生活でした…何が大変かというと、やっぱり、食事!子供も大勢いましたし‥


食事作りは、何人かのグループで、当番制でした。前の晩にパンを焼いておくとか、生協に注文を出していたので、1週間のメニューを前もって考えないといけません‥


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授業の宿題はたんまり出るし、子どもに寝る前にお話しして寝かしつけないといけないし‥もう勉強のほかの生活に半分の力をとられていました‥


お風呂も男性や家族で入りたい人たちと、時間差で、他にもゴミ出しやいろんなところの掃除‥朝は顔を洗うところは水しか出ません〜

私は「インドよりマシだわ〜と」いつも思ってました。というかそう思わないとやってられないという感じでした。

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ただ、一人っ子の娘は、めっちゃ楽しんでいました! 人が大勢いるのが嬉しくって仕方がない〜夜のトイレは、大人でも怖かったようですが‥

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そこの校舎のつくりは、前側に玄関と校舎が6つくらいあり、ちょっと段差になっていて、上の方に、台所、風呂場などがありました。その段差のところにトイレがあり、もちろん「ぼっとんトイレ」…


昼間はなんでもないのですが、夜はほかの住人たちが、絶対居るわ〜という感じがビンビン!敏感な子どもは、たまに見えてたみたいです‥

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やる気満々で、いらしてた家族たちも、だんだん疲弊していきました。いっしょに勉強していた教師候補たちが、1人、2人と去って行って、本当に学校を作れるのか‥微妙になってきました。




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そんな時に、私の1番楽しみだった、「イギリスとオランダのシュタイナー学校に研修1ヶ月」がありました。


娘は実家に頼みました。1歳頃から、年に1回は札幌の実家に遊びに行っていたので、ありがたいことに、慣れたものでした。でも1ヶ月間で、私がいないのは初めて‥

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まずはイギリスのシュタイナー学校から。昔は、シュタイナー学校は、入学希望者でなければ、普通はすぐに見学できませんでした。シュタイナー教育の教員養成者や、すでにシュタイナー学校で教師をしている人は前もって予約しておけば大丈夫ですが。


校庭

休み時間は教室に鍵をかけて、みんな外に遊びに出ます〜


イギリスのシュタイナー学校で、私が見学させていただいたのは、5年生クラスで、担任の先生はものすごくダンディな先生。生徒たちも先生の話はしゃきっとした態度できいています。


ところが、驚いたことに、フランス語の女性の先生の授業に入って見学していた時、女子生徒が、わざとふざけて、黒板に「正」みたいなチェックをつけられて、それが5回で退室の決まりらしいのですが…



つるんでいる3人の女の子たちが、わざと5回悪さをして、退出〜。 そして喜んで出て行ってしまった…国や言語が違っても、子供が嫌だろうな的な感じの先生はいますが、日本人はここまでしないだろうなぁ‥まして、5年生…


2日後のフランス語の授業の時は、なんと、お母さんたちが3人見学に入っていました。多分子供達が親に話していたのと、私も軽くですが、担任の先生には報告してましたが…少しはよくなって、今日はおとなしくしてるかなと思ったら、おんなじことをやらかしてる‥


その日の夕方、職員室の黒板に、このクラスは「緊急保護者会」と書かれていました〜!あの後どうなったか‥シュタイナー学校って、自由奔放と思われることがありますが、そんなことは全くありません…



黒板

いろんなクラスの黒板〜日本の黒板は長方形しか見たことがなかったので…



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ロンドンからウェールズに行く途中泊めていただいたお宅の街(名前は忘れてしまった…)


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ストーンヘンジ〜ずっと行きたかったところの一つ!もう、ずっと一日中ここにいたかった…


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3泊4日のウィービング(織物)のセミナー。先生が染めた羊毛を使い放題〜



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このセミナーが開催されたのは、イギリスの西部あたりで、ロンドンで疲れていたので癒されました〜




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こちらは、イギリスのシュタイナースクールの1つの「マイケルホール」というところ


そしてオランダ!ここはエネルギッシュで、いつかゆっくり観光で、行きたいと思いました

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オランダのシュタイナー学校は、国が認めていました。先生たちは国の学校の先生の資格と、シュタイナー教育の教員の資格と両方必要でした。でも国からお給料が出るので、羨ましいかぎりでした。


オランダは昔から、新しいものを受け入れる体質?らしく、シュタイナー学校がたくさんありました。小中等部だけでなく、高等部も見学できました。ここは素晴らしく、何も制約がなかったら、絶対にここに娘を通わせたい!と芯から思いました。



印象に残っているのは、お料理のクラス。フランス料理のフルコースを両親に食べさせるのが目的で、その日は、スープを作っていました。教師は、本物のフランス料理のシェフでした〜

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木工のクラスのは、工房の工具が豊富で、生徒の作りかけの、椅子一つ見てもそのレベルの高さにびっくりでした。お金を出して買いたいくらい。独創的なデザインでした。

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驚いたのは、アイアン(鉄鋼?)のクラスで、子供達がスプーンやフォークをカンカン作っていたところです。日本の刀鍛冶のように…先生は、その道の職人さんでした。

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またその施設がすごい!日本では見たことがないので、説明できませんが…子供達が授業をしているところは、写せないのが残念でした…


何を見ても、先生と、環境に、恵まれているとしか言いようがない…この国から教えにきてくれた女性のA先生が、すごくエネルギッシュだったわけが、この国にきて、この学校を見てはっきりわかりました。


見に行ったのは、20年ほど前でしたが、日本のシュタイナー学校は、赤ちゃんでこっちは青年くらいの違いを感じました。シュタイナー学校の高等部の先生たちに是非この学校を見て欲しいと思いました。

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あとひとつ、さすがだと思ったのは、特別養護のシュタイナー学校があったことでした。朝、両親と一緒に体育館に集まり、輪になって朝の会をみんなで行っていました。何人だろう…二重の輪になっていました。


私は11年生くらいの調理のクラスに入れてもらいました。2色の渦巻きのクッキーを作るのですが、今回は3回目とのこと。

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係りの子が先生から鍵を渡されて、調理器具を棚から、丁寧に運び出します。10人くらいの子達が、粉をこぼしながらも、作り始めました。


ダウン症の子供2人は、パソコンでレシピ作りをしていました。1週間に1回の調理のクラスは、全く同じことを4回やるそうです。


少しずつ、作れるお菓子を増やしていきます。焼いたクッキーは、毎回近所に配るそうです。そうやって手仕事を覚えさせ、周りの人たちと関わって行くことで、子供達の自信をつけさせ、まわりの方々の理解を得て、就職先を広げているそうです。


親御さんたちが、期待の気持ちも込めて、ここに連れてきていることが良くわかりました。教師の方々は、ほとんど年配の方で、とにかく、辛抱強い!優しい!


確かシュタイナー教育のエキストラの教師の資格は、普通のシュタイナー学校の教師を4年以上してないと取れなかったような…今はわかりませんが…ただでさえ、シュタイナー学校の教師は28歳以上と言われていました。

大学出たての22歳くらいの世間で苦労してない若者は、色々体験してからね。という感じなのでしょうか…


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そして、また矢板に帰ってきました。こちらの教員養成コースは、あれよあれよという間に、人が去っていく…それでも、後半になって、生徒の募集も始めて、複合クラスの担当も割り当てられました。

しばらくして、入学者の面談も始まり…すると他のシュタイナー学校に入れなかった子たちが、面接にくるようになりました。


私は仲の良かったMさんと、まだ1年経ってなくて、ギリギリ詰め込みで、シュタイナーの思想だけでなく、授業の仕方とかも学んできたけれど、普通の子を見るだけで、精一杯…という話をしていて、ちょっとこれはかなりまずいかもしれない…とけっこう前から、思い始めていました。

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旦那にもそんな話をしていました。一旦引き上げたらいいかもと言われていましたが、決心がつかずにダラダラ疑問に思いながら、引き延ばしになっていたある日…


教員養成の4人で、Sさんの車を借りて、東京に用事で行った帰り、高速の東北自動車道でのこと、私とMさんは後ろの席でおしゃべりをしていました。すると横を走っている観光バスに、こちらの車が吸い寄せられていく〜!案の定、ぶつかってしまい、こちらの車は中央分離帯に頭から突っ込みました。


ありがたいことに誰も怪我はしませんでしたが、車の前側はぶっつぶれて大破。車は動いたのでなんとか道の脇まで寄せることができました。バスに乗っていた大勢の観光客の人たちも心配してくれて、運転手さん、警察の人たちもきて…


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警察やバスの運転手さんの話だと、夕方の休みの日で車の通りがすごく混んでる時間だったにも関わらず、その間だけ、後ろからの車がいなかったので、助かったらしいです。運転手さんもバスに近づきすぎると、小さい車は引っ張られて危ないと言っていました…


この状態だと、間違いなく、後ろの車に追突されて、そっちの被害の方が大変だった、無傷ではいられなかった…と。確かに傍で見ていても、事故の時間以外、車がひっきりなしに走っていました…


Mさんと私は後ろの席で、なんとシートベルトはしていなかった!二人ともそれを聞いて真っ青…私は、一番に娘の顔が浮かびました…

そして、これが限界だとやっと悟らされて、踏ん切りがつきました…ここが手放すタイミングの最終段階だと思いました。


みんなでタクシーで戻って、落ち着いてから、Sさんに「一旦うちに帰ります。」と話しました。そして、その日の夜中のうちに Mさんに手伝ってもらって、来た時同様に全て車に積見込みました。

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こっちに来てから買った小さいタンスは、後からMさんがうちに送ってくれるとのこと。お掃除もしといてくれる…自分は一人で、出やすいから、後から引き上げるとのこと…


ある意味、共同生活を長くしていると、そこから離れるときはものすごくエネルギーを使う…こんなことでもないと、自分の何かの欲が引っかかって、出られなくなっていく怖さを感じました。


そういえば、オウムをやめてから、アストラル界で、A氏に2度ポアされました…1度目は、首を絞められ、2度目は、お腹を刺されて…痛みはないけど気持ち悪かった… 旦那に言ったら、「シャクティパッドしたからだよ…」「確かに…」



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もとい…寝てる娘を起こして車に乗せて…夜逃げってこんな感じかも…と思いつつ、もうここには戻らないなぁと思いながら、明け方信州にたどり着きました…


旦那に大見得切って出ていった手前、志半ばで、悔しくてたまらない…せっかくものすごく苦労して、9ヶ月も勉強してきたのに…


旦那もその悔しさをわかってくれていて、やれるとこまでやればいい…と言ってくれました。北海道しかない〜!


最初から、いいって言ってくれれば良かったのに…とは口が裂けても言えません…いつも遠回りで、必ず何か意味があるので…

戻ってきたのは、5月半ば…私の頭に、大村先生のお顔が浮かんでいました。


先生には、ちょうどオイリュトミーか何かの公演で、養成講座の途中で一度偶然に会場でお会いしていました。

安曇野での講演会のお礼や今の自分の状況をお話ししたら、「あなたは伊達の教員養成にくるかと思っていた…」と言っていただき、「遠くて、旦那のOKが出ませんでした…」という会話をしていました。

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私は、その日のうち大村先生に電話しました。先生のところの教員養成は4月から始まっていました。

「ご主人の了解は?」「はい、大丈夫です!」それで即決まって、6月から、一番行きたかった北海道の伊達市のシュタイナー教員養成講座(こちらは2期生)に途中参加できることになりました。もう嬉しすぎです。


車に乗ってる荷物はそのまま降ろさずにいたので、翌日、直江津から苫小牧までフェリーで車ごといって、伊達まで走り、伊達温泉に1週間宿泊することにしました。

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ここから、伊達のシュタイナー教員養成講座の始まりです…娘は訳もわからず振り回されっぱなしですが…なんか楽しいんでくれてるのが救いでした…

ちなみに、カーナビのない時で(あったかもしれないが)紙の地図だけが頼りでした‥



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