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信州安曇野②【シュタイナーとの再会】


安曇野に住み着いたある日、お子さんの4人目がダウン症という、とっても美人な友人のAさんが珍しく、相談にきました。「シュタイナー教育の勉強会を作れないだろうか?…」


なぜ、シュタイナーの勉強会を‥と言ったのかというと、シュタイナーは、若い頃、水頭症の子供の家庭教師をして、その子をお医者様にしてしまったという話があるからでした。(また、すごくはしょりすぎですが、それがシュタイナー教育の基盤になりました‥)



そして、普通学級の中に、手助けの必要な子どもたちをいっしょにいさせていることで、ほかの子たちも、たくさんの学びを体験させることができる‥ということをシュタイナーが考えていたからです。


実際、私がいた頃の北海道のシュタイナー学校では、ひとりのダウン症の女の子を引き受けていました。彼女のお母さんも次の次に出てくる伊達市時代に、助け合って過ごしていた大事な友人です。


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私が、20歳前半の頃、旦那に、よく東京でやっていた高橋巌先生のシュタイナーの勉強会に連れて行ってもらっていました。お友達が事務局?をしていて。(内容はいまいちわからん…)


昔は、高橋巌先生の話が、難しく、旦那の本棚のシュタイナーの本もなんかわけがわからなかったのですが‥(ちなみに昔はシュタイナーは辞書で調べると、「オカルト者」でした。)


そんなある日、1978年頃だったか?ドイツの「エルゼ・クランク・アンサンブルオイリュトミー公演」?があり、もうその素晴らしすぎるオイリュトミーの公演を見て、衝撃を受けました。オイリュトミーも、ある意味、シュタイナーがつくったもの…

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これはその時のものではないのですが、こんな感じ‥


まるで別世界でした。この時、初めて、シュタイナーに出会った感じがしました!私がもし、ドイツとご縁があったら、その時に、オイリュトミーの学校に飛び込んだと思うくらいでした‥


その時、本当に飛び込んだ「はたりえ先生」は、今や、日本一のオイリュトミストです!シュタイナー学園の学長を経て、今はフリーで世界中を飛び回って、オイリュトミーを広げていらっしゃいます。


私は、その時は、もう印度古典舞踊とヨガにドップリでまだまだ道半ばで、そちらも強烈に縁があったので、こっちをやりきることを選ばざるを得ませんでした‥

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でも、それが巡り巡って、なんと20年も経って、また再会しました‥今度は教育というかたちでしたが‥



なんと、松本市在住のちょうど、サクラメントのシュタイナー教育の研修会に参加して帰ってらしたFさんという方を発見しました。お子さんが4人いらっしゃるとても温厚な方で、塾もなさっていました。


早速、いつものペンションシャロムの大親友に相談して、ご主人のオーナーのご好意で、いつもヨガの合宿で使わせていただいていたペンションの半地下で、週に1回勉強会ができることになりました。「あずみのシュタイナー学習会」!



「シャロム」というペンションは、その頃、夕食がフランス料理風自然食のフルコース、朝食は、手作りの天然酵母のパンや、玄米おかゆパン、自家製の畑でとれたての野菜たっぷりのメニューが並んだバイキング形式で、自由にベランダやテラスで食べることができる…ヨガの合宿の生徒さんたちに大人気で、すごかったです。


シバナンダアシュラムのスワミをお呼びしてる時にも、旦那の展覧会をする時も、そして生前葬をした時も、お葬式も、何から何まで、いつも助けてただいていました‥


もうずいぶん前に、レストランもできて、手作りのかまどで、これまた美味しいピザが人気です。ちょうど、オープニングに印度舞踊を踊らせていただき、なんとその時には、はた先生もオイリュトミーを舞われました。




そこでは、またその後、ホメオパシーのドイツ人のステキなA先生をお呼びして、学習会を開かせていただきました。

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口コミや地元の新聞に広告を出したりして、最初から15人弱のお母さんたちが集まりました〜ほぼ都会から移ってきた人たちでした‥なんせシュタイナー教育は、マイナーですから‥地元の人は名前すら、知らない‥



同じくらいの子供を抱えているメンバーでしたので、おなじ部屋で、交代に子供を見ながら、おやつはふかし芋やおしんこや小さい玄米おにぎりやら、飲み物はお水か麦茶‥「こころざし」が同じってこんなにも気持ちいいものなんだと感動せずにはいられなかった‥

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おやすみのお母さんのために、授業は変わりばんこに、記録して、プリントを渡していました。授業の後は、シャロムの外でみんなでピクニックみたいにお弁当を広げてランチ会。



子供たちは、犬、ニワトリ、ヤギと遊んだり、砂場や木の枝、石ころ、草っ原‥ほんとに子育てでお疲れのお母さんたちにとっても、そこは癒しの天国でした‥もちろん私にとっても❣️

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なんと今でも「安曇野のシュタイナー子供園 おひさま」をしていて、素晴らしいです! お近くの方、心からおすすめです。



そしてもう一つ、嬉しかったのは、以前読んでも、チンプンカンプンだったシュタイナーの本が、どれを見ても、めちゃめちゃわかる

(もちろん100%ではないです‥下の本は、4回読んでもまだわからん‥けど面白い‥)〜この20年、ヨガの勉強をしてきたのが、リンクしまくり〜すっかりハマってしまいました‥

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母親になっても、性格は変わらず‥もっと勉強したくて、シュタイナー教育の教員養成に行くことを決意してしまいました。(娘は巻き込まれ〜)


でもその頃は、正式な教員養成はドイツとか海外にあり、日本では大村祐子先生がやっていた北海道の伊達市にあるだけでした。



大村先生の北海道の「ひびきの村」には、サマーセミナーで何回か行っていて、私はそこの教員養成に1番行きたくて、かなり粘ったのですが、さすがに、安曇野のから北海道は遠すぎで、旦那からOKが出ませんでした‥


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そんな時、栃木の矢板で、新たに教員養成が始まるという情報を得ました。使っていない校舎を宿舎として、1年間住み込みで、教員養成をして、そこに、シュタイナー学校を作るということでした。



旦那の亡き祖父母が栃木だったのと、ボロ安アパートの浦和から、近かった?ので、様子を見にこれるということで、なんとか栃木はOKをもらうことができました‥


大村先生には、2001年の12月に安曇野でも講演していただく手筈を整えていました。でも私が矢板に行くのは、10月。


お断りしないで済んだのは、旦那や安曇野の皆さんが全てやってくださったからです。旦那は松本空港から大村先生の送迎をしたそうです。

その間、色々話をして、面識があったことが、このけっこうあと、すごく役に立ちました‥



そして、またしても、踊りとヨガのクラスを人に全部渡して、勉強会のもう1人の親友からはお餞別までもらいました。



今は安曇野の家はもうありませんが、旦那をよく知っている友人達がいっぱい暮らしている、安曇野は私の大切な故郷です。


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そして、車に必要な荷物を私の車にビッチリ入れて、ちょっとした小引越しさながら、旦那と娘と二台の車で出発しました。


出発は10月1日(ちょうど娘の誕生日)東北自動車道を走って、途中でお誕生会をやって、しばしのバイバイ〜

私は慣れてるけど‥娘にはゴメンナサイ‥(旦那が絵描きでなかったら、ひとまわり歳がはなれていなかったら、とうの昔に、三下り半ですかねぇ‥)


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矢板のシュタイナー教育教員養成コースと共同生活が始まりました‥




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