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2024年諦めたことは「いつも笑顔でいること」。諦めたら自然に笑えた話

今日観た『あちこちオードリー』のテーマが「諦めたら人生楽になったこと」だったんですが、そのなかでドランクドラゴン・塚地さんが

「ストロングスタイルのお笑い番組ならボケを交えられるけど、ほのぼのしたタレントさんと一緒のロケ番組だと、面白くないことにもニコニコして…。そんな自分の姿をあとから放送で見て、愕然とした」

と話していました。

本当は笑うほどじゃないんだけど、笑ったほうがいいと思うから笑う。

笑顔は人を幸せにするし、その場の空気も良くするし。私もそう思い、人と話すときは、なるべく笑顔でいる努力をしてきました。

でも2024年、早々に

常に笑うことを諦めよう

と思います。

Zoomに映る表情は、自分が思うより「険しい」

私はフリーランスとして仕事をしており、打ち合わせはほとんどオンラインです。ある日、打ち合わせ前に身だしなみを確認しようと、Zoom越しに自分を見て驚きました。

え、なんか…!怖い…!

自分では何も表情をつくっていなかったはずなのに、眉間にうっすらシワがよってへの字口。「なんか機嫌悪いよね…?」と100%思われる険しい顔。

そんな自分におののき、前髪でササッと眉間を隠し、口のハジを横に引き上げて笑顔の練習。

毎度のように画面に写りこむ自分の表情に戸惑い、そのたびに笑顔をつくる…。

そんな日々を送っていたのですが、最近、違和感を感じ始めたんですよね。この笑顔に。

「笑顔の上に笑顔を重ねる」は人体上、無理な話かもしれない

あるとき、数人でZoomの打ち合わせをしている最中、雑談モードになりました。

話を聞きながら思わず笑ってしまったとき、自分の笑顔が画面にうつっていたのですが、それがなんとも「つくりものっぽく」見えたんですね。

なんか、無理して笑っている人の表情みたい…

素直にそう思いました。

本当におもしろいと思って笑ったのに、どうして無理して笑っているように見えるんだろう。

その理由として行き着いたのは

「つくった笑顔のうえに笑顔を重ねることは、人間として不自然な行為なのかもしれない」

というものでした。

笑顔でいた理由は「相手を安心させるため」

笑顔が最初から自然なものなら、つくりものっぽくはならないと思います(本当におもしろくて笑いすぎたときは、顔が痛くなりますが)

でも、「つくりもの」の土台のうえに重ねてしまうと、表情が崩れて見えるのかも。

そう思いました。

ちょっと話題がそれますが、そもそも私はなぜいつも笑顔でいたいのだろう?と考えたのか。

それは「相手を安心させたい」と思っていたから。

不機嫌な顔で「おつかれさまで~す」と登場されるよりは、笑顔で「おつかれさまです!」といわれたほうが気持ちいいし、話もしやすいものですよね。


ただ、それはあくまで理想論。

「あくまで理想」 でいいんじゃないかと思うんです。

笑顔じゃなくても、不機嫌じゃなければいい

そのくらいのモードで、いいのかもしれません。

ちょっと気分がいいときは自然に頬がゆるんでいるだろうし、話の中で楽しい話題が出たら、自然に笑顔になる。

そんな自然体が、私にとっては心地いいことに気付きました。

そして2024年「いつも笑顔でいること」を諦めた、というわけなんです。



みなさんはいかがでしょう?

2024年、諦めたいことはありますか?

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