Twitterをやめた話

年が明けて思い立って
いろいろデータを整理したりして
アカウントの削除申請をした。
楽しくなくなったからだ。
いや、それは今に始まったことではなくて
この数年たのしくなかったし
不満ばかりつぶやいてた気がする。

昨年、突破口を見出そうとして
サブアカを作ってみたり
いろいろ刺激を作ろうとしてみたけど
根本的な解決にはならなかった。
とにもかくにもたのしくない。
発見がない。気づきがない。
まるで安いキャバクラの客引きみたいに
みんな宣伝ばかりしている。

はじめた頃
Twitterはじぶんにとって
知らないことを教えてもらえる場所だった。
未知の世界を知る、尊敬できるひとが何人もいた。
人生の指針になるくらい重要な本も作家も
画集を買うくらい大好きになった画家も
何度みても泣いてしまうくらいお気に入りの漫画も映画も
Twitterで知った。
そしてもちろん音楽も。
もしじぶんの人生を "地層" として見れるとしたら
20代は間違いなくあの青い鳥の化石で埋め尽くされていることだろう。

たとえばぼくがあるアーティストについてつぶやくと
「それなら〇〇も好きなんじゃないですかね」
とオススメしてくれるひとがいた。
きいたら実際よかった。そんなことが何度も続いた。
ぼくも誰かのつぶやきに対して反応して
じぶんの知りうることを伝えて、喜んでもらえたこともあった。
ある作品に対するじぶんの素朴な意見に対して
ハッとするような観点を与えてくれるツイートもあった。
永遠に続くとおもっていた。

年を経るごとに
あるひとは結婚し
あるひとは出世し
あるひとは転職し
引っ越し、出産、介護……
だんだんとTwitterで見かけるひとが減っていった。
頻繁に見かけるツイートは
botの定期投稿か何かの宣伝。
新しい知り合いができるわけでもない。
バーチャル限界集落のなかで
何もできずにいるじぶん。

そんななかで
イーロン・マスクがCEOに就任して
変なアップデートが続き
どんどんアプリが使いにくくなった。
広告もドデカく表示され目障りになった。
じぶんの故郷の開発が進み
山が削られゴルフ場が建ち
海が埋め立てられてホテルになるような
そんな気持ちがしないでもなかった。

そして極めつけは
好きだったフォロワーさんのアカウントが
いつの間にか消えていたこと。
これがじぶんのなかで決定的だった。
さよならも言えなかった。
たぶんそのひとと言葉を交わすことは
もうないのだ。
それはもはや死別と変わらない。
とてもショックだった。

そしてぼくはTwitterをやめることにした。
それで何かが変わるともおもえないのだけど
たのしくないことを続けるよりは有意義におもえた。

また音楽を作ったらYouTubeやニコ動に
動画をアップすることはあるとおもう。
よっぽど書きたいこと、他人に読んでほしいことがあったら
今回みたいにまたnoteに書くかもしれない。
ただもう日常を、思考を垂れ流すようなバカな真似はしないだろう。
ぼくももう30半ば。いい加減オトナにならなければ。

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