「ねじれ」と「E.G.O」についての個人的な見解(ネタバレ注意)

こんにちは。PPPです。
Limbus Company3.5章までクリア、リヴァイアサン読了しました。

唐突ですが、タイトルの内容について、いつもなんとなくは考えていたのですが、うまく言葉にできなかったことがふと、すとんと落ちたので備忘録として残します。

「ねじれ」と「E.G.O」について
前提として、インディーのゲーム会社、project moonによるLobotomy Corporation、およびLibrary of Ruina さらに世界観的続編のLimbus Companyにでてくる上記の2つについての違いを自分なりに考えた内容になります。

いうまでもなく、とんでもないネタバレを含んでいます!!
ここから先読み進めるにあたって要注意!!!

※ゲームとしては、いずれもディストピア的世界観(所謂「大きすぎる政府」に人間をリソースとしてしか認識していないといった世界、政府ではなく企業による統治だけれども)の「都市」を舞台にしたゲームです。

簡単に説明すると、
Lobotomy Corporation(以下LC)が、SCPのようなものを管理するシミュレーション、
Library of Ruina(以下LoR)が、何かを求める人を招待し、その人の存在と求めているものの知識を賭け、接待という戦闘によって蔵書を増やし、図書館を大きくしていくターン制カードバトル、
Limbus Company(以下公式名称よりLCB)がL社の残した金色の枝(本来の意味からすると後継者たる資格、正しい知識になるのかな、、、ここら辺は金枝篇という言葉を調べてほしい)を探し、主人公ダンテとして12の囚人とともに地獄のような「都市」をめぐるソーシャルゲーム
となっています。
ゲームシステムはクリアした人間でも自信のない部分があるほど複雑怪奇なものなのでここでは割愛。
(もっとやりこんだ怖い人たちがいろいろ公開しているからそっちを見てね)

前置きが長くなりましたが、まず「ねじれ」と「E.G.O」について、現時点での公開されている情報からわかることが、

①いずれも人の延長線上であること。
②感情が人間の閾値を超えた際に発現するモノ、現象。
③いずれも発現する際には、本人にしか聞こえない「この世のものとは思えないほど美しい声」(=釣瓶となったCの声)によって、抑圧されていた自己を肯定しようといった旨の誘いを受ける(一方的ではなく対話が可能)。
④「ねじれ」は上記の声に従い、自分および自分の欲望のみを見つめた姿。従来の都市におけるルールを塗り替えるような破格の力を持ち、姿は人を逸脱したものになる。
⑤「E.G.O」は上記の声との問答に打ち勝った人間が手に入れる力、人間の姿は変わらず装備品のような姿で身にまとうものが多い。作中では自我の殻といった表現もある。
⑥「ねじれ」は一見すると幻想体のようだが、エンケファリン反応がない、命をもち事切れる、など明確な違いがある。
⑦「E.G.O」を発現しても、その後「ねじれ」るパターンもある。
あたりでしょうか。

LoRでも「ねじれ」と「E.G.O」、「幻想体」の違いについて触れる場面が複数ありますが、個人的にはそこでのやり取りからは上記のうち、③、④、⑤について言及されていた程度のように記憶しています。

ただし、明確にどのように違うかについてはいまだ明言されておらず、「E.G.O」を扱う適性のあるものは、「ねじれ」る素質ももちうるといったことしか言及されていなかったと思います。
状況証拠としては、上記③の声に打ち勝つというのは「E.G.O」発現に必須条件のように受け取れる描写がありました。

これまで、上記の情報を整理して、自分なりにも考えていたのですが、どうにも二つの違いについて、はっきり言葉にできずモヤモヤしておりました。

今回ふと思い当たるきっかけだったのが、LC内にて、集合的無意識「井戸」から、コギトを抽出する際、Cの肉体からつくった釣瓶を用いていることでした。

※コギトは人類の集合的無意識「井戸」から抽出した希望。
コギトを取り込んだ人間は死亡したり、幻想体になることが記載されていました。
LCの技術は抽象的存在の抽出・実体化。
(いいかえると集合的無意識からのコギトの抽出、および無意識から抽出したものの実体化=幻想体ということだろうか。ちなみにSCPのような人知を超えた存在である幻想体から抽出できるエネルギーがエンケファリン、それらを「都市」に送りインフラ事業をなしているのがLCでした。)

LCの結果からか、今の都市では、感情が人間の閾値を超えたとき、おそらく集合的無意識に近づくのでしょう。
その際に世界と無意識をつなぐ媒介として混ざったCがたぶらかしている、いいかえるなら、Cなりの人間論を説いているのではないでしょうか。
Cは常々、「人間であるならば、周りを気にせず、自分の気持ちを一番に優先すべきなのに」といった主張をしており、LoRでもそのスタンスは変えていませんでした。
Cの主張に同調したものは、自分のみを見つめ、「ねじれ」として力を得ます。この力は集合的無意識からくるものかと思われます。(L社の技術由来)
この際にCの主張に対し、真向から自分の意見を貫き切ったものに、「E.G.O」の発現が確認されています。

これらのことから、現在、光=集合的無意識にアクセスするに際し、釣瓶となったCの意思がフィルターをかけていて、フィルター越しに光の恩恵を受けた場合、「ねじれ」または、「E.G.O」、フィルターを通していない光の恩恵は、「幻想体」または、「E.G.O」になりうるということではないでしょうか。
そして、自分なりのまっすぐ進む意思を持ち続けた場合は、集合的無意識からの浸食から自己を守り、「E.G.O」として発現するものだと考えられます。

補足すると、吸血鬼のようなLCの前に発生した「ねじれ」は、Cのフィルターなしで自分の意思を持ち続けたが、それが、Cと似通った自分のみを見つめたような意思だったからと考えると説明も付きます。

これまで、自分が、これらをうまく言語化できなかったのが、それぞれ同条件からの3パターンと考えたからです。
しかし、今回、これらについて、分岐パターンで考えるなら、まずCの介入に対してのリアクションからフローを考えたほうがスマートだと考えました。


「E.G.O」は正式名称で記載すると「Extermination of Geometrical Organ」、訳して「幾何学的器官の根絶」です。
ようわからん文章ではありますが、幾何学的について、辞書を引くと
『形状、図案が規則的であるようす。(三省堂国語辞典第八版より)』とありました。
幾何学的器官をそのまま、規則的な形状の器官ととらえるならば、心臓、胃、脳といったような、人の体に存在し、実際に医学などによって定義された器官を指すことになると思います。
それを根絶するということですので、そこにあると認識されているものの否定と考えることが可能ではないでしょうか。
飛躍したことを承知で述べるなら、これまで集合的に認知されていた固定観念の否定と捉えられます。

もともと、「都市」では、難しい言葉を使ってもわからないということで、どういったものに対しても、身の回りにある事象が名づけられています。(Ex.親指、掃除屋、工房など)
こういった集合的な認知の一歩胃的な受け入れを否定し、自身が認識した通りに世界に対し、振るわれる力が「E.G.O」なんじゃないかなと、考えました。

ここまでながながと書きましたが、要は、
集合的無意識に触れる→飲み込まれる→幻想体
集合的無意識に触れる→飲み込まれない(Cの補助問わず)→ねじれor「E.G.O」
集合的無意識に触れる→飲み込まれない→Cに同調、または同様の悟り→「ねじれ」
集合的無意識に触れる→飲み込まれない→Cの主張に対抗、自己を保ち続ける→「E.G.O」発現

なんじゃないかなと思ったということでした。

まだまだ情報がない話なので、間違っているかもしれません。
というか、推測の領域が多いため、間違っていることが多いかもしれません。
それでも、自分としては、こうだと考えたため残しておきます。
もし、上記の内容になにかしら思ったことがあればご意見いただければと思います。
それじゃまた。

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