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心のない娘

深い深い森の中に、娘は住んでいた。誰にも会うこともなく、誰とも話すこともなく。

強く蒼い光を放つ瞳。
風に揺れる長い金色の髪。
整った目鼻がついている顔。
細くバランスのとれた肢体。
凛とした態度。
食せる草とそうでないモノを見分けるだけの知識を持つ。
小動物を狩るために必要な技巧も持っていた。
娘には森の中で生きるていけるだけの生活能力があった。
必要なものは全て持っていた。

しかし、心がなかった。

だから、深い森の底で独りで生きている。

心がないから、他人が傷つくことを理解できなかった。
自分が傷つくことなかった。

他人は娘にとって理解できないものだった。

心がある人間同士でも理解し合えないこともあるのに、心がない娘が理解できうるはずもなかった。

初めて会った人間には、自分が心がないことを言わなくてはいけない。

初めて会う人は多い。たくさんの人に伝えるのは難しかった。
しかも、言っても理解してもえないことが多かった。
娘は森に逃げ込んだのだ。

娘は頭も良かったし器量も良かった。
だが、それを嫉妬する者たちの感情を理解することはできない。
嬉しいと思ったこともなければ、悲しいと思ったこともない。

何も感じない心を不便に感じたこともない。

ただ、娘が思うのは一つ。

『早くこの世から私の命がなくなればいいのに』

この森で物を食べ、排泄し、生きていることは娘には無駄に思えた。

世界の摂理的に考えると娘は何も生み出していないし、何もできない。

生態系の循環から外れているような気がしてならない。

それは、娘が生きていることが無駄と呼ばれる以外なんと呼べばいいのかわからなかった。

そもそも、心という定義さえ曖昧なのではないだろうか?

心とは人間が持っているだけのものなのだろうか?

どういったものを心と呼ぶのだろう。

悲しいや嬉しいなどのような感情を考えられるかどうかだろうか?

こんな風に考えることができればそれが心なのだろうか?

どんなに考えても娘に答えは出なかった。

それは、誰にも答えられない質問に違いない。

たとえ断言できる人間がいたとしても、それは、事実でなくその人の意見だ。

正解でない。絶対に正しいことと定義されているものでない。

答えでは、ない。

心を持っている人間の言葉はあやふやで確かなものはあまりない。

嘘をつく。平気な顔で。

それが、娘には理解できなかった。

嘘なのかそうでないのか、わからない。

なぜ、他人が突然、怒り出すのかもわからない。

他人は、人間はわからないことだらけだ、と思ったのを覚えている。

たんぱく質の割合や構成要素を考えれば娘は間違いなく人間だった。
機械ではない。

それなのに、どうして娘には心がないと定義できるのだろうか。

体という物理的要素を介さないものが精神だとすると、心といものは精神に近いものがある。
しかし、精神が外側から感じるものだとすると心は内側から思うものなのかもしれない。

外側から感じることができるが、自らの感情が発生することがない人(物)には心がないということにならないだろうか。

例えそれが仮説であろうとも、娘に自らの感情の揮発が感じられないのは変えようもない事実だ。

娘は自らその身を滅ぼすことができなかった。

それだけは父に堅く約束させられたのだ。

自らの命運が続く限りは生きることを諦めないと。

それだけが、彼女の死ねない理由。

生きる理由でなく、死ねない理由。




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