自分の「…」をめぐる言語データを分析する#1

今回から数回にわたって日常言語プロジェクトの新シリーズ、「…」表記をめぐるデータ分析をします。これ、世の中に自分の言語データを公開するという羞恥が伴うもののかなり面白くなるんじゃないかと踏んでいる。そしてnoteでは勉強実況風に(自分で命名してるけど、勉強実況というのは私が思考するプロセスをそのまま書き連ねていくよ、ということ。音声はつかないヨ。)書くけど、記事を書き終えたら初めて動画かポッドキャストにして配信をするというのを最終ゴールにしている。私は言語学の学士号を持っているわけではないから、多少大目に見ていただけたら幸いである。(ちなみに、この書き言葉は基本的に私が一番何も考えずにカタカタ書けるからこれになっている。同時に、尊敬する定延利之先生、吉岡乾先生、川添愛先生(先生呼びでいいのかは不明)の書籍の書き言葉が好きなので私もそのスタイルでいきたい、というのが反映されている可能性も捨てきれない。いや、そもそも日本語で論文を書いたことがないので書き言葉が本当にわからないのである。)(あと、ここまで読んでいただいてわかるように私の記事はかなりかなり話が逸れやすい。読者がもしいるとしたらありがとうございます。そしてすみません。)

さて、今回「…」を第二回日常言語プロジェクトの題材にしたのにはもちろん背景がある。まあ、ないわけがないんだが。8月10日のことだった。某匿名SNS(でいいのだろうか)で少し話題になっている投稿が目に留まった。(少し話題と言っても、コメントが12件つくくらいである。)内容は、以下の通りであった。(スクショを撮って保存してあったんですが、その投稿に対してなんのアクションも取らなかったために投稿主をたどれず許可を得ていないので、一語一句そのまま引用するもののスクショは貼らないでおきます。ちなみに、投稿主の性別や年齢もわかりません。)

「、、、」がとてつもなく苦手。
「……」じゃだめ?
あと「。。」も苦手。
そもそも句読点と句点はそういう使い方しないよね。三点リーダーも「…」じゃなくて「……」が正しい使い方らしい。三点リーダーはともかく、何故句読点を3つも重ねるの?なんなら「、、、。」とかするよね。正直やめて欲しい。
LINEとかしてるとものすごくモヤッとする。

これを見て皆さんならどう思うんだろう。私はなるほどな、そういう考えの人もいるのか、と思った。コメント欄を覗いたら、「…」よりも「、、」とか「。。」の方が自分らしいとか、その沈黙具合、てんてん感を伝えられるんだ、とかいう主張があったように覚えている。それも、わかるわかる、と思いながら「おもしれー女」と言わんばかりにスクショだけ残しておいた。(←「」の内容、別に投稿主が女とかじゃないよ????わかる人にはわかるだろうけど、最近よく目と耳にする若者の間で運用されてるネタ的な表現だよ???)

そのことは別にずっと気にしていたとかじゃなかったのに、なぜだか自分の言語選択に変化が起きつつあった。ちゃんと、あの投稿を見てから「…」を使う回数が増えたような気がする、と思い立ったのは……いつだったか、それをメモした日を辿ってみたけどそのメモ消してたや。確か、9月の頭か中旬くらいだった。少なくとも8月いっぱいは気にしていた覚えがない。というわけで、8月10〜31日の私のあらゆる言語データを扱って(もちろんその投稿を見る前の言語データと比較するが)私がこの投稿に影響されたか、またどう影響されたのかというのを分析していきたい。(今の時代、日本はまだ甘い、遅れている、とはいえ、倫理的な配慮のない研究は許されない。言語学者とか、社会学者とか、心理学者には特にやりにくい時代だと思う。なので、個人的に上の記述を見せて一ヶ月後にじゃああなたたちの言語データを見せて、分析させてよ、なんてことはできないので(少なくとも私は今は所属もないし、そんなモラル的にやばそうなことには踏み込めない)自分のモラルならちょっとくらい侵害できる、というギリギリのところを攻めている(両方の意味で)。)

分析に当たって、最近読んだ岡本真一郎「言語の社会心理学」でみたCMC (=Computer-mediated communication:メディアを介して行われるコミュニケーションのこと) におけるそれぞれのプラットフォームの要素わけを参考にして、私が普段使うLINE, Instagram, Snapchat, そしてその某SNS(なぜか伏せておく)を分類し、それぞれにおける私の言語データをみていくこととする。できる範囲で、誰に対して送ったのかも明記していきたいと思っている。そして、理論的枠組みとしては社会言語学の(まあ、私には武器として使えるタンスがまだ少ないので)アコモデーション理論、オーディエンスデザイン、スタイルのあたりと、心理学の自己呈示のあたりを採用していくつもりだ。どれが適用できるかは、ひとまずCMCのプラットフォームを分類するか、自分の言語データの内容、聞き手を分類しなければわからないような気もする。

このままつらつらと思いのままに書き連ねていきたいところだが、ここらでそろそろ本題にうつろうと思う。(壮大な記事になるだろうと思っていたが、なんだかんだものすごくぺろっとした内容になりそう。一回で書き上げてしまうんではないだろーか。それはなんだかとっても寂しいような気もする。)(これ、日常言語プロジェクトにしちゃお!と思い立った時、自分が大学院でやろうと思ってた研究が匿名SNSにおけるアイデンティティ構築だったのでまさに被っていてちょうどいいのではなんて思っていたくらい、内容の濃い良作になると思っていた。過信というのは恐ろしいね、やってもいないのに夢みがち。)

ではまず、CMCのプラットフォームの分類をしていこうと思う。ちなみに、ここでいうInstagramはストーリー機能に限定しておく。しばらくの間投稿をしていないのでそちらは全く参考にならない。それから、muuteというアプリは感情とともに考えを記録しておける若干AI日記帳のようなもの。感情の起伏が見えて好き。こちらは聞き手、受け手が存在しない。また、Snapchatと書いておいて気づいたが、あれは自分が送ったやつを見返すことはできず(もちろん相手のものも)、今回私の言語データを分析できるかというのはだいぶ怪しい。ただ、これが私が妹とやり取りするのに一番よく使うSNSなのだ。以下、それぞれの要素を岡本(2013)を参考に表にした。

画像1

それぞれ少しずつ説明していく。これは社会心理学の本の表を真似て作っているけど、そっちは対面のコミュニケーションとCMCを比較するためのものだったよ。なのでちょっとCMCだけの比較には要らないかもしれない要素もあるけど(空間共有とか)、それもちょっと大目に見ていただきたい。

空間共有は、その名称の通りその場を共有したコミュニケーションかどうか。つまり対面だったら同じ空間でコミュニケーションがされているから「共有」だけど、基本的なCMCはオンライン上などで互いに別々のところにいてもできるコミュニケーションであるように、「非共有」である。私が使用しているSNSもどれもそうだね。

時間共有は、その時間を共有しているか。つまり、対面や電話でのコミュニケーションは同じ時間を介してやりとりをしているので「共有」だけど、これらSNSは送り手が送信した時間と受け手がそれを確認する時間は共有されていないので「非共有」となるということ。

伝達手段の種類もみてみると、電話が音声だったりするのに対してこれらはほとんど文字ベース。強いていうならInstagramやSnapchatは自分が撮った16:9の画像の上に文字を並べるので、文字+αということになっている。

情報保管の容量というのは、どのくらいの間その情報、やりとりの内容が保管されるか、availableかということだと解釈している。LINEでは送信取り消ししなければ大抵ずっと残っているし、インスタのストーリーは24時間残る。某SNSはタイムラインに新着が更新されていくので、フォロワーの人かその新着を捉えた人のみが閲覧できるという点で中容量とした(なお、検索機能はない)。

LINE, Instagram, Snapchatに関しては、送り手が誰で、受け手が誰なのか明らかであるし、明らかでないケースは逸脱であるので、その旨が匿名性の許容欄に記載されている。某SNSで私は本名を使っていないし、年齢も明かしていないので、かなり匿名性が保たれているはずだ。at leastそう思っている。

受け手が特定できるかどうかというのも上の匿名性の許容に少し関わっているが、ここでもLINEやSnapchatでは誰が受け手なのか、自分が誰に対してメッセージを送っているかというのは明らかである。Instagramのストーリーに関しては、「親しい友達」に限定して投稿するときには特定できる(基本5人〜9人なので。内容によってリストの人を増やしたり減らしたりしている。)が、普通の公開だと200〜300人くらいみるので誰がみてるかとかは気にしていない。プライベートアカウントだから、自分のフォロワー=自分の知り合いであることは確実だけど。某SNSでは特定できない。

最後の意図的コントロールというのは、対面や電話でのコミュニケーションが空間、時間を共有してスピーディに行われるのに対してCMCではそういった要素が非共有的なのでコミュニケーションにおける読み書きなどをある程度意識的に調整できるということ。今回扱うSNS全てでこのコントロール性は高い。

以上が岡本(2013)に従って行ったCMCのそれぞれの分類であるが、これをもとに理論的枠組みを展開していきたい。まず、バリエーションとして扱う対象は「…」「。。。」「、、、」これら記号と句読点の連続体である。そして、今回私が注目したいそのバリエーションの選択的使用に影響すると考える要因は、①バリエーションとアティチュード(そのバリエーションに対する評価のこと)②受け手の存在(さらに、受け手の社会的属性)二点である。きっと博識な方々や優秀な人ならより質の高い観点をお持ちのことかと思うけど、私はそこには至っていないので、これもまた大目に見ていただきたい。(やはり、着眼点を増やすためにももっともっと自分のglossaryを増やしていかねば。ウンウン。焦るけど一歩一歩頑張る。)

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2021年9月28日にここまで執筆済みだったが、ここから先がないので一旦区切ることにする。#2から上記の①②についてもう少し詳しく見た後、言語データ分析、考察へ進みたい。


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