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一番性悪なのは誰?#4ー挨拶用語編ー

今回で本シリーズ最後!今日は「失礼します」をきまりことばとしてのあいさつ用語の観点で分析していきます。

「失礼します」表現を挨拶用語で分析しようと言い出したのは私だが(まあそもそも私以外にいないが)なぜ挨拶用語なのか。挨拶用語の観点を取り入れるわけをここでサラッと書いておきたい。(というのも、本人でさえ思い出せないのだ。なんせ三ヶ月も前のことなので。)

最初は沖(1989)のpaperにざっと目を通してなるほどこの観点でも分析できそうだ、と思ったようである。沖のpaperで私が面白いと感じたのが挨拶の「伝達形態」である。あいさつ言葉というのはあいさつを構成する成分であってどうやらイコールではないらしい。挨拶を構成する成分には、独立的言語成分、随伴的言語成分、そして非言語成分があるという。必ずしも3種で構成されるわけではなく、ものによって、あるいはその場面によって構成要素は異なるようだ。うーん、これの詳しい説明は少し後にするとして、まず、実は今目を通した限りでは「失礼します」の表現をこれに当てはめて良いのかちょっと微妙なラインである気がするのだ。なので挨拶用語とか、きまり言葉というのがなんなのか理解するところから始めたい。

きまり言葉とは、はっきり定義している資料を見つけることは叶わなかったが下田(1989)のあいさつ語の記述にヒントを得ると、ある場面でこういうことば、フレーズ、表現があるといった時のそれということである。つまり、職場で朝会おうと夕方会おうと夜会おうとそれが1日の初めの挨拶なら「おはよう」になるとか、ご飯を食べる前に手を合わせて言う「いただきます」とか、そういう慣習的な言語表現である。そしてきまりことばとしてのあいさつ語、というそのあいさつ語がなんなのかというと、こちらは今回参考にしている文献でそれぞれあるのでそれらを少し覗いてみようと思おう。

まず、あいさつことばと比較したあいさつことば以外の言語表現の研究をした長谷川(2000)を参考にすると、鈴木(1981)の定義を引いている。孫引きで心苦しいどころか研究する者としてはほぼ失格なんですが、ここでは長谷川(2000)の論文から鈴木の定義をいただくことにする。

鈴木(1981)はあいさつの形式を機能との関わりから3分類した。そのうち出会いの場面でのあいさつ言葉は①言話的(phatic):合図的表現、②言話的・描写的表現(referential):定型表現の2類に分けられた。言話的というのは、ことばによって相手との接触を図る働きとされる。あいさつ言葉の最も基本的な機能である。これは、言葉としての具体的な意味を持たないとされ、一方で②はある程度意味を持ちながらもある種の公式のような使われ方をする、とある。

長谷川(2000)は鈴木(1981)を受けさらに小林(1981)も引用している。小林(1981)でも鈴木(1981)とほぼ同様に意味内容と形式が省略されている点に着目しあいさつ表現を定型(極端な省略表現・非命題的)、準定型(ある種社会関係円滑化的な意味合い・命題的)と二類している。これに対して長谷川(2000)は基準が不明確であるとして彼女の論文では独自に以下のように定義している。

あいさつ言葉とは、字義通りの意味が失われ、出会いの場面の冒頭にしか用いられない言語表現として、「おはよう・こんにちは・こんばんは」や「やあ・おっす」などを含むものとする(長谷川, 2000)。

長谷川(2000)の論文を参考にした結果、鈴木(1981)、小林(1981)、長谷川(2000)のそれぞれの定義を私の「失礼します」に適用しようと試みるとどうだろうか。正直、「意味が失われた表現」というところにフォーカスするとどうも「失礼します」はそれに当てはまらないような気がする。なぜならこれまで発話行為論とか語用論で散々背後にある「意味」を解き明かそうとしてきたのだ。矛盾である。ただし、長谷川(2000)から孫引きした鈴木(1981)の定義にある②の「ある種の公式的な用いられ方をする」というのはもしかしてもしかすると適用できるような気もする。ただ、これを鵜呑みにするのはよくない。これは孫引きであって、鈴木(1981)の本来意図した意味と違って汲み取ってしまってるかもしれない。

じゃあどうするんだ!
落ち着いて。とりあえず、他の定義も見てみようよ。ね?(この語りかけ書き言葉は定延先生の書籍の口調の影響を受けてます)

下田(1989)の論文に戻ろう。こちらではあいさつ語を中心としたきまりことばの基準として[帰属意識/ 丁寧さ/ 非言語的な要素/ 二人称/ 日本語にない表現]の5項目を立てている。彼女がこれらの項目(特に違和感を感じるとしたら最後のに言語にない表現というやつだろうけど)をあげるのは、日本語のこういった慣習的な表現の定着なしに日本語学習者のナチュラルさは養えないのではみたいな研究の中心からくるものである。ここでは着目しないけど、ほんとそれなと思いながら読んだ。さて、この五項目のうち今回「失礼します」の表現に対応しそうなのはどれだろう。[帰属意識]は、ウチと外の人間関係における言語表現って感じだし、[丁寧さ]はおはようがおはようございます、電話切るときのじゃ、が失礼します、みたいな感じだし、[非言語的な要素]は、言い淀むべききまりことばで言い淀まない不自然さだし、[二人称]に関しても「あなた」という言葉の使用の制約による不自由さが述べられているだけで、[日本語にない表現]だってhave a good dayが「良い週末を」ではしっくりこないようなことを述べているだけだ。私の「失礼します」には適用できそうなものがない。唯一言語表現として言えるのは、電話を切るときの「失礼します」と今回私が扱っている「失礼します」は別の表現であるということがはっきりしたくらいだ。前者の[丁寧さ]が低い表現は「じゃ」であるが、後者の(私のやってる)方では「失礼」とか、「どいて」とかである。少なくとも「じゃ」と言って後ろを通ったりするような人はいないだろう。

ふーむ、困った。石川(2016)に頼ろう。石川(2016)は挨拶語と挨拶言葉の用語についてまとめてくれている。どうやら現在の国語教育では「おはよう」を含めた「感動、応答、呼びかけ、あいさつ」が感動詞とされているらしい。ちょっとびつくり。色々と経緯を説明してくれてるが、あいさつ語は「固定化した語句」であるというのが刺さりすぎる。これは、企画倒れなのではないか、私。他にも、挨拶語から挨拶言葉がやや一般的なのはこれらの表現が単語の範疇のみではなくて文も扱うため、とか、挨拶言葉は他者への呼びかけを目的とした自立語とか、内容を分析するものではないとか(=私の解釈では、内容が決まりきっていて深読みするとかもない、ただの機能的な言葉)、あと面白いことに「失敬」は挨拶語を含むとする感動詞に該当せず名詞として扱われているとか。あちゃあ、最後のやつで確定だ。きっと「失礼します」は感動詞には含まれないんだ。「失敬」がダメなら、きっとだめだ。

ダメ元だが、辞典を引いてみたい。

と思ったら、研究室に国語辞典はなかった。

Weblio辞書で検索して出た実用日本語表現辞典では、以下のように書かれていた。

相手へ干渉したり、自分が行動したりする際に、あらかじめ断りをいれる表現。部屋に入る場合、辞去する場合など、幅広い場面で用いられる。

他にもブログを閲覧すると、「失礼します」は結構敬語として扱われているみたいだった。私の扱ってる「失礼します」を分析するには、なんか違う気がする。

結局最初の沖(1989)の伝達形態が扱えないではないか。なんたる失態。でもいいの、これからこれから。また見る目を養って分析していきたい。頑張るーーー。

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・沖久雄(1989). 「あいさつ言語行動の記述モデルと「あいさつ」教材の分析」. 奈良教育大学紀要. 38, 1, pp. 1-12. 
・下田美津子(1989). 「きまりことばの諸相:あいさつ語を中心に」. 文林. 24, pp. 51-64. https://shoin.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=808&item_no=1&page_id=13&block_id=21
・長谷川頼子(2000). 「出会いの場面にみられるあいさつ言葉以外の表現」言語学論叢. 19, pp. 15-32. http://www.lingua.tsukuba.ac.jp/ippan/TWPL/contents.html
・石川創(2016). 「「挨拶語」・「挨拶言葉」という用語に関するノート」. 駒沢女子大学研究紀要. 23, pp. 131-142. 

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