何故か省かれている「特牛灯台」

画像1 「こっとい」と読みます。“とっこい”と覚えてたりもした…“特〜”だから。明治の設置だが、海保等が指定している明治期の保存灯台には入っていない。リストの各灯台の大きさや規模、改変の程度、立地等は色々で、物理的には除外される理由が見当たらない…何か“大人の事情”かなんかがありか?
画像2 銘板(扉上の黒いの)には「明治四十五年一月十五日初點」と示されているのだが…華麗な感じの角島灯台に近く、その影に潜んでしまっている印象も。この銘板、今は灯塔と同じ塗料で塗ってあり、またドアはステンレスに替わっている。“明治期保存灯台”に入っていない理由として考えられる事柄がひとつあるが、完全な憶測なので表すのは自重しておこう。
画像3 特牛駅からは…近くない。タクシーを使った記憶があるが、調べてみたらバスがそれなりにあり、帰りはバスだったかも?。目的は角島灯台で、角島大橋が開通前だったので、この下の港から出る角島への連絡船で渡航…実はここはノーマークで、船の待ち時間中に発見した。赤いフィルターは岩礁等を示す分弧、サーチライトは、暗礁に立つ標を照らす照射灯。ちなみに環境省の規定では、ここと角島灯台辺りとの直線より西は瀬戸内海になっている。

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