【『動けない現実』の罠】





私は地元が漁師町だったから0→100思考、
白黒思考が基盤になっている。




6年前くらいに自己啓発にはまってワークショップを受講するまで
グレーゾーンの思考がどうしても受け入れることができなかった。




『悩んで動かない人』が近くにいたら

『はっきりしろよ!』とブチギレていたくらいw


かなり極端な白黒思考だったと当時を振り返って思う。





抑圧された(自由に行動できない)環境で育っていたのもあり、

『動かない人』が過去の自分に見えてモヤモヤ、イライラしていた。


つまりは『八つ当たり』になる。

他人を使って過去の自分を責めていたことになる。




当時の自分は学生を卒業すると自由になりたい為に

就職を理由に(わざと遠い地方に就職)実家を出た。


結果自由になったけど育った環境が特殊すぎて、
職場環境や職場の人に全く馴染めなかった。


職業病も出やすい環境であったり私の体調不良もあり、
1年もしないうちに実家に帰るのだが、

変わる事のない抑圧される環境が苦痛すぎて機会を見て家を出た。

※当時の問題は家を出て5年後に解決しています。




私は思ってしまう『動けない』のではない『環境を理由に動かない』
または『人のせいにしている』

だから『悲劇の主人公に浸ることで現実から逃げている』のだと。


そうじゃない場合もあるだろうが、

当時の私からしたら「全て言い訳だろ!」

とうんざりしていた。



それに、現実はすごくシンプルなのに難しく考えて、
あたかも現実が複雑であるかのように錯覚しているのではないだろうか?


そしてこう思ってしまう

「動けない現実を作っているのは誰?」と。




結果イライラするw

そして当時の『動けない』自分を責めるという無限ループw




白黒思考を一貫しすぎて人間関係も毎回ギクシャクしていい加減嫌になり
ワークショップを受けたら、

『全て自分が作り出した現実』ということにやっと気がついた。




6年後の現在、私から見て動かない人を見てどう思うか。

何とも思わなくなった。


自分の怒りに目を向けたらずっとイライラして身体にも心にも悪くて
時間の無駄になるので、

『待つ』のではなく動かない人との関係性を『凍結』するしかなかった。

が正直なところ。


まぁ側から見たら『待つ』状態に見えると思うw
本人の心持ちが違うのよw






だから『悩んでいる人』が動かないのは、
『悩みたい』のだから『悩ませてあげよう』が私の精一杯の愛情。

やさしくなったよw




自分軸、他人軸で考えると『動かない人』を見て

「なんとかしようとしてる人」は誰?



何を動機に自分の行動を決めているの?

それはどっちの軸になる?

ということになる。


他人を『何とかしよう』は無駄である。

原因は己の心の中の問題なのだから。




私はタイミングが読めないけど動く時は動く。

上手くいかないとしても動かなかった時より見える世界が違うから。



徹底的にやり切る。後悔が残らないように。




「傷つくのが怖いから動けない」と言う人の気持ちがわからない。

理解する労力は他で使いたいから一生分からないままかもしれないw



自分の過去に動けない時期があったけれども、

「傷つこうが路頭に迷おうが動くんだ」といつも思っていた。



「傷つくのが怖いから動けない」と言って動かないままなら傷つく結果になるのに、

「やっぱりそうなるんだ」って悲観してる人を見るけど誰がそうさせたの?と思ってしまう。


成長に痛みは伴うので。『痛い』のは当たり前だよね。




もし本当に『行動したい』なら、

怖いと思う方に進んで「意外と平気だった」を積み重ねること。


小さな成功体験の積み重ねが必要だよ。

『痛み』に慣れると『痛みは錯覚』だと言うことに気がつく。




そして私は今後も活動するにあたって頼るなら成長をやめない人が良い。

『常に目標に向かって精進してる人』は素敵すぎる!


『自信がある人』ではありません!

『自信の本質を知っているからこそ挑戦をやめない人』のことです。



なので『動かない人』はこれからも置いていくと思う。




それぞれが自分の人生だから人に合わせたり遠慮はしなくて良いよ。


自分を幸せにできるのは誰?



あなたの人生、誰が主役ですか?





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