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デラン・ミロイェヴィッチ

日本時間1/18の早朝、一つのニュースがNBAを騒がせました。

ウォリアーズのアシスタントコーチであるデラン・ミロイェヴィッチ氏がチームディナーの最中に心臓発作を起こし、賢明な救助活動も空しく同日ソルトレイクシティの病院で息を引き取りました。享年47歳。早すぎる死です。この事態を受けて、予定されていたウォリアーズとジャズの試合は延期となり、各々が哀悼の意をささげることとなりました。

私は恥ずかしながらミロイェヴィッチ氏を存じ上げておらず、このタイミングで初めて知ったので今回は彼について少しまとめてみようと思います。この記事を読んで少しでも多くの方に彼の功績が伝わると嬉しいです。

1977年生まれの彼はセルビアで生まれ、パディンスカ・スケラ郊外で育ちました。13歳のころから本格的なバスケットボールを始めたミロイェヴィッチ氏は同世代を圧倒し、1991年のカデット(16歳以下)対OKKベオグラード16歳以下チーム戦では141得点を記録し、現在もその地位を保っています。プロとしてのキャリアをスタートさせた後もNBAでプレイすることはありませんでしたが、セルビア、スペイン、トルコと様々な国でプレイをし、セルビアとモンテネグロの男子代表の経験もあります。

2009年に選手を引退した後、3年後の2012年からセルビアのメガ・ヴィズラというチームでコーチキャリアをスタートしました。2018年にはサマーリーグでヒューストンロケッツのコーチとして初のNBAを経験しています。2020年に任期を終えた後、モンテネグロのチームでコーチを務め、チームを優勝に導くと、2021年6月にNBAのゴールデンステイトウォリアーズとコーチ契約を結びアシスタントコーチとして正式にNBAキャリアスタートとなります。

当時のウォリアーズはドラフトで7フッターのジェームズワイズマンを獲得しており、ミロイェヴィッチはドレイモンドグリーン、ケボンルーニー、そしてワイズマンを重点的に指導するよう言われました。しかしワイズマンはこのシーズン度重なる怪我で出場機会がほとんどなく、シーズンの多くの時間をルーニーのステップアップに費やしました。その結果、彼はリバウンド能力が向上し、2022プレイオフにおいて優勝を狙うウォリアーズの陰の立役者となりました。(実際、セルティックスとのファイナルでは、ベンチ出場もありながら平均7.5リバウンドと、体を張っていました。)

今のウォリアーズはBIG3に限界が見えつつあり、世代交代の時期なんかともいわれております。一部ではスコアラー気質の大型フォワードを狙うとのうわさも出ていました。また、若手のトレイスジャクソンデイビスもめきめきと成長をしてきています。そこには間違いなくミロイェヴィッチの貢献があったに違いありません。この後、ウォリアーズのビッグマン事情がどうなるかは分かりませんが、彼のいない穴は決して小さくありません。しかし彼が遺してくれたものをウォリアーズ全体が、そしてNBA、バスケットボールファミリー全体が語り継いでいくべきだと思いました。

最後になりましたが、デラン・ミロイェヴィッチ氏、ご冥福をお祈り申し上げます。
R.I.P.🙏


Twitter : @GSW126524

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