見出し画像

「出来ない事は悪い事じゃない」いつもふてくされた僕と、決して見捨てないシェフの話

ここ1ヶ月、シェフとは業務以外の連絡取っていなかった。

原因は僕。恥ずかしくて書きたくないのだが、撮影の時にしょうもなさすぎる準備不足で叱られた。その上に、次のスケジュールにも迷惑をかけてしまうことに。

それにも関わらず、何を思ったか、僕はふてくされた。文字にするだけで直視できないくらい情けない。

そのことは前々から注意されていた。
自分を全くコントロールできず、子どもみたいに感情を表に出していた。というか小さい頃から全く変わらない。

怒られるうちが華だ、と良く聞くが本当にそのとおりだ。怒ることはエネルギーを使う。
僕は人によく怒られ、諦められることもある。
でも、シェフは今も、諦めずに向き合ってくれている。

でも、なんだかここ最近、無意識のうちにカッコつけていたのだろう。いちばんカッコ悪い。

今回は懺悔のnote。
ふてくされてしまった過去をどうか成仏させてください。

マネージャーから離れてみて

僕はsio株式会社に料理人として入社した後に、シェフのマネージャーになり、心身をともにしていた。今年の4月からnoteを毎日書いて、シェフとの日常から得られる気づきや会社のことを記していた。

本格的にマネージャーになったのは1年前。エキサイティングな日々であったし、とてつもない方々との出会いも多く、学びばかりの日々であった。

しかし、不安がとつぜん押し寄せた。
ずっとマネージャーをやっていくべきなのか?
自分でもこれから何をしていきたいのか、そのためにはどうしていくべきなのか、少しわからなくなり、会社に相談した。

すると驚くほど早く、1時間後にはマネージャーを離れて別のポジションを用意するとなったのだ。
びっくりして心の整理をつけることが出来なかった。(不安もつかの間で、それぞれが流動的に動いて回っていくのが会社なのであるが)

そんな僕の不安は未来に対してで、自分の思考から来ていた。
昔から『こんなのできないよ』と思うクセがある。無理だと諦めがちな僕に対して、シェフはいつもこう言った。

「自分で限界を決めるな」

そのたびに、「そうだよな」と思いながらも、人はすぐに変われない。ましてや、自分の根幹の部分なんて、よっぽどのことがない限り変わらない。いや、そう思っているから変われないのかもしれないんだけど。

僕はずっと諦めが早かった。昔から長距離が苦手だったし、物事に対して集中力がない。

しかし、少しだけ粘り強くなった。
未だに勢いで行動することが多いが、

それは、支えてくれる人がいたからに違いない。ここぞという時のnoteはシェフからアドバイスを貰っていた。
営業後、コンビニで夜食を買ってから家に帰り、あーでもない、こーでもないと言いながらnoteを書いた。

どうしたらもっと伝わる文章になるのか。
もっと人の心に残る文章になるのか。

最後の最後まで考え抜く、この"粘り"こそが、人の心を動かすことを知った。
そして、最近の僕の言葉は最後の粘りが弱いんだとも思う。

言葉はその人の分身みたいなものだ。
書き手の人となりも含めて文章を読んでいる。
これから書き手として生きていくためには、一つ一つ積み上げていかないといけないものが多い。

そんな中で、最近はキレイな文章を書こうとしていたんだと思う。
これからはライターになるんだからって。
早くカッコいいライターになりたかったんだと思う。
世の中に落ちているメソッドのようなものを、見よう見まねで使ってみては、自分には似合わない着こなしをしていた。
まだ体が出来上がっていなかったのだ。 

誰かに言われるまで、気づかなかった。
意識してもなかなか客観的になれないから難しい。
だから、周りから見た″らしさ″は素直に受け入れていく。

僕のらしさって何だろう。
それは、ありのままで着飾らないところみたいだ。日常の中の恥部をさらけ出していくしかないんだと思う。

「ほら、また顔に出てる」

僕はめちゃくちゃ感情が顔に出るらしい。
もちろん自分ではわからない。

注意されると顔に出るらしい。
悪気はないから1番タチが悪い。
誰も得しないし、むしろ損だ。

ずっと言われてきたのに変わらなかった。
そして、今回も怒られた時にふてくされてしまった。
そもそも悪いのは僕で、そこに対して改善させようとエネルギーを使ってくれている人に対して、ふてくされるなんて愚の骨頂だ。アホとしか言いようがない。

なんでそんなことになるのか、自分も考えてみた。すると、やっぱり自己中心的だからであると思う。
自分のことしか考えられていないから、そうなるのである。
怒られる理由もひたすらそれだ。
結局いつも言われていることは同じ。
どれだけ相手のことを想像できるかに尽きる。

顔に出す前に、だれかの笑顔を思い浮かべる必要がある。

テクニックじゃない。
向き合う心とか覚悟とか。
色んなものが詰まっている。
それが愛なのかもしれない。

僕が愛を語るには早すぎた。

なかなかタイミングを見つけられずにいた。
いや、勇気を出せずにいた。

僕はまず謝らなくてはいけなかった。
しかし向き合うことができずに何となくやり過ごそうとしていた。いつもと同じだった。

でも、それではいけないと思った。
それもまたきっかけをくれたのはシェフで、僕はようやく謝罪することができた。

すると、こんな言葉が返ってきた。

出来ない事は悪い事じゃない

それをどうするかで人の価値は決まる

いつだって課題はみんなある

それを誠実に向き合っていくしかないよ

その姿勢にその人の本質が見える

これを読んで、僕は泣いてしまった。
できないことじゃなくて、
真心を持って向き合っていくことが重要だった。

良い加減に逃げるのは止めにしなければ。

この一か月間は非常に居心地の悪い夏だった。
それは明らかに自分のせいである。

そして、また僕は助けてもらった。
自分だけではまだ動き出すことができなかった。
いつも働きかけられてようやく動けるようになる。

何度も背中を押すチャンスをくれたから、そして、今回もまたようやく前に進むことができた。

これだけ真っ直ぐ向き合ってくれる人がいる。
自分自身が直視できないことも、愛情を持って厳しく指摘してくれる人がいる。
しかし、いつまでもそんな甘えていられるものではない。

愛を語るには、まず日頃から、全身で愛を表現しなければならない。話はそれからである。

僕が書くことにチャレンジできているのは、今の会社にポジションがあってこそ。間違いなくシェフのおかげである。
そして、今回もまた一歩背中を押して助けてもらっている。感謝しかない。
いつも本当にありがとうございます。

僕の背中を押し続けてくれる人がいる限り、僕は自分の弱さと逃げずに向き合って、書き続けたいと思う。

この期間温かく支えてくれたシズるの皆さん、ありがとうございます。
心配してくれた人もいるし、色々やりづらさがあった人もいるかと思います。ごめんなさい。

そして、シェフ。
これまでたくさんの人が僕の偏屈っぷりに諦めてきた中、いつも見捨てずにご指導いただきありがとうございます。未熟な男ですがこれからもよろしくお願いします。

最後に、このnoteを見るであろう父さんと母さん。いつも誤字脱字チェックありがとう笑
いろいろと心配かけてごめんなさい。
まだまだなんだけど、僕はまた一つ登るべき階段を見つけました。
コロナが落ち着いたら帰りたいと思います。

そういえば、今年の夏はどこへも行けなかった。来年の夏こそはシェフの家族と旅行に行きたいと思います。


まだまだ残暑が厳しいや。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?