雨天物語(乳首)
「悪いね」
朝、雨に濡れた男の髪の毛を拭いてあげる。この男は、傘をささずに外を歩くことがカッコいいと思っていた。
わたしは折りたたみ傘を常に持つくらい濡れるのが嫌であるので、この人がなぜそんな無駄なカッコつけをするのかが理解できなかった。
耳の中まで丁寧に拭き、ついでに肩を揉んであげると大きなため息をしてこちらを向き、ありがとうとキスをするのだった。そういうことをされると、女も永遠に尽くすだろうと理解している目をしていた。
昼が来た。
二人で大事に猫型の500円貯金箱を続けていたつもりだった。機嫌がいいときは500円を3枚も入れて、いつかこの箱を開けて喜ぶ自分と彼の姿を想像する。今日、箱を持ち上げてみたらすっかり軽くなっていた。かたい猫耳をぎゅっと掴んでみて、次にどうしたらいいか考えこんでしまった。
雨はまだ降り、外に出掛ける気力が出ない。
雨に強い男は、まだ寝ている。後ろから抱きついてみると「ねぇ、このあとどうしよう」と呟いてきた。わたしも貯金箱のこともあって「どうしよう」と返した。裏切られた気持ちでいるのに、すぐに離れられない肉体の寂しさが今、大きくなってきている。ああ、どうしよう。頭まで拭いてキスもして、すぐに不幸がやってきてしまってどうしようか。
「俺さ、乳首いらないんだよね」
身体の向きを変えて、こちらの目を見つめ関係ない話をするのがこの男の癖だ。
「なんで?」
「エロくないでしょ」
「エロいとか、エロくないとか関係ないでしょ」
「あるよ」
Tシャツをめくり、無言で乳首を見せてきた。少し皮膚が乾燥したくらいで特段変わってない乳首だ。
こちらも見せてみた。雨が強くなっていく。
「私の乳首は意味あるのかな」
「俺の気持ち次第かな」
「え」
すぐに乳首をしまった。あぁ、また少しだけ気持ちが沈む。
「このあとどうしようか」
「寝ようか」
「寝たら一日を無駄にすることになる」
「いいじゃない」
「よし出よう」
ホームセンターで買った安いサンダル2つに足を入れた。手を引っ張られて外を歩いた。Tシャツにノーブラの私は乳首が透けてきている。彼は大丈夫だと励ましてくれた。自分も透けているから、というなんの励ましにもならない励ましが、ショックが連続した体に効いてくる気がした。
「雨って汚いらしいよ」
どんどん前を歩く男に言ってみる。
「汚いのか。まじかよ。俺、ずっと浴びてきてるよ。そんな俺と付き合ってきたお前だよ」
「なんか嫌になってきたかも」
「今さら何言ってんの」
雨が綺麗と信じているこの男、汚いと知ってもまだ濡れようとしている。セットしてあげた髪が濡れた七三になっていくのがおかしくて、私も同じ髪型にしようと前髪を撫で付けた。足下は泥がついて諦めの気持ちが湧いてくる。
「汚いね、今日のふたり」
「いやー雨っていいよな。無力になるよ」
「あんた、力あったことあるの?」
「ないけど」
「ないけど、さらに無力になるってことか」
「まぁそういうことかな」
ああ、どうしよう。このあとどうしようか。
母猫が子猫を守るように車の下で雨宿りをしていて、ずぶ濡れになった人間を見ていた。貯金箱のこと、また思い出してきた。
「貯金箱さ、貯まったら何したい?」
「いいシャンプー買おうか」
「汚くなるから?」
「うん」
母猫は体勢を変えて乳首を子猫に吸わせ始めた。
「あ」
「この乳首、意味あるね」
「これは神秘だね」
神秘って言葉、簡単に使った自分が恥ずかしい。まだエロだけで乳首を考えていた私たちは、帰り道、お互いに冷えないようにくっついて歩いた。
朝、沸かしておいたお風呂を追い焚きして、競うように湯船に入っていった。
「猫、かわいかったね」
「うん、俺の乳首も役に立ったらいいのにな」
「無理でしょ」
湯船で温めた両手で、この男の乳首を隠して温めた。
「ああ、なんか癒されるかも」
「ほんとバカだよね」
雨に濡れると無力になるっていうさっきの話、本当かもしれない。なにも考えないほうが幸せな時もあるだろう。まだまだ雨は降り続くので、そうだな、乳首の意味なんか考えないでおこう。
思いっきり次の執筆をたのしみます