見出し画像

嫉妬心と友達になる

最近、嫉妬心が出てくると嬉しい。「ハァ?」と思われるかもしれない。

嫉妬心って良くないもののように思われがちだ。でもわたしはよく嫉妬する人は実は向上心の高い人なんじゃないかと思っている。現状に100%満足している人は嫉妬しない。
それに無気力で何もやる気が出てこない時って他人に嫉妬することができない。嫉妬にも最低限のエネルギーがいる。

人は自分よりレベルが高すぎると感じる人には嫉妬しないらしい。逆に考えるなら、自分の手が届くようなレベルの人には嫉妬心を抱くということだ。

…ということは。
「あの人ってずるい」「いいなぁあの人はあれを持ってて」「あの程度の能力でこんな良い思いをしてて羨ましい」「わたしだっていい思いをしてみたい」

こう思っている時、「自分もやればできる(のにやってないだけ)」ってほんの少しだけでも思っているということじゃないか。普段は見ないようにしていても、心の底を探っていけば存在するのではないだろうか。そう考えるようになった。

そして嫉妬心が生まれるたびにそれをひとつずつメモしていくことにした。「自分がなぜずるいと思うのか」ということを知るのは痛みを伴う作業だった。自分の生身の欲望と向き合うからだ。でもじきに慣れていった。

「ずるい」「いいなァ」と嫉妬心の芽が出たら後ろ向きな気持ちに変換される前に言語化する。なぜ自分はそれをずるいと思うのか。本当はやりたいのか。やりたくないのか。今すぐ真似できるところはないか。そしてやってみた。

例えばわたしは黒髪が似合わないから黒髪というだけで清楚だと思われる人が羨ましかった。だから美容師さんと相談してわたしでも似合うようなほぼ黒髪の暗さにした。ここ10年ほどしなかった髪色。

翌日から周囲の反応に驚いた。毎日のように会っている人や久しぶりに会った人が髪についてほぼ100%言及してくれる。全てがポジティブな反応だった。信じられない。美容院帰りに「思い切ってやったけど顔色死んで見えるからやっぱり戻そうかな…」と半泣きになっていたというのに。似合わないと思っていたのは世界でわたしだけだったのかもしれない。というか今までのが寧ろ似合わない髪色で気付かずに生きてきたのかもしれない。

髪色を変えたのはきっかけに過ぎなかった。自分が嫉妬心を抱いていたのにやっていないだけだったことをひとつずつ潰していく。ずるい人の真似をしてみる。手を付けてみる。初挑戦してみる。やってみて結果が出なければ諦めもつくだろうと思った。

始めてすぐ気付いたのは心の変化だった。他人が羨ましくなくなる。嫉妬心の芽を摘んでいく作業だから無くなっていくのは当然なのだけれど。

周りの人の反応なんか結構どうでも良かった。結果じゃない。「できた」というプロセス自体を評価できる。自分を納得させるために行動が必要だっただけだ。いいね!も要らない。そりゃもらったらとても嬉しいけど。結果がどうであれ、わたしは周りの人の反応を気にせず、わたしの欲望のためだけに行動できたのだ。嬉しかった。自分自身を誇らしく感じた。

そうした生活を1ヶ月ほど続けて、最近人と会って話した時に「変わったね」と言われるようになった。今では嫉妬心が芽生えると嬉しい。ヤッター٩(*´ᗜ`)ㅅ(ˊᗜˋ*)وと思う。わたしはまた変化を起こすことができるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?