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優しさの種類

ただ楽しく過ごしている日が続くとあまり筆が乗らないかもしれない。

ある日の出来事。
隠れて泣いていたのをティッシュを目に当てている後ろ姿だけで察されて、近付かれて目が赤くなっていることで確信したのか慰められた。

放っておいてほしかった。目の前で泣いたわけじゃない。慰められて嬉しくなくても、その時は優しさを受け取って感謝するしかなかった。なるべく笑顔を見せるようにしていたのに。落ち込んでいるわたしを知られてしまった。泣いていた理由は聞かれなかった。そこまで踏み込んできたなら理由も聞かれるかと思ったけど、慰めたかっただけなのか。

最近放送されたちいかわの褒められリボンの話がとても好きだ。
ハチワレが無くしてしまった大切な思い出のリボン。ちいかわは同じものをプレゼントしたらと喜ぶかと思ってワクワクしながらハチワレに会いに行くが、リボンを必死で探すハチワレの姿を見て、これを今直接ハチワレにプレゼントするのは違うなと思ってハッとするちいかわ。30回は見た。妄想の中でヤッターと喜ぶハチワレの姿がかわいくて切ない。

雨が降っている時。傘を差し出してあげるのも優しさだけど、もしかしたら本人は晴れるのをただ待っているのかもしれない。濡れないようにしてあげたい。今すぐ笑顔にしたい。そう思うのは優しさだろうか。

察するということは美徳ではなく、その後の行動によっては傲慢な行いだなと最近考えるようになった。察して何かを「する」のか「しない」のか。「察するをしない」方が相手にとって好印象だったということは実は多いのかもしれない。

あくまでも察するというのは独りよがりな行いで、自分の主観でしかないのだ。相手にとって正解になるのと同じくらい不正解だったこともある。自分がそう思いたくなかっただけだ。察してあげてる、役に立つことをしてあげてると思いたかったのかもしれない。

言われたことだけやる。助けてほしい時に助けてと言いやすい環境だけ作っておく。助けてと相手から言われるまでは助けない。

無力な自分に苛立ち、悔しさと怒りが込み上げる。このことが正解だったのかは分からない。それでも「しない」ことを敢えて選ぶ。見守る。今日はぐっと飲み込んだ日だった。

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