反応しない練習


草薙龍瞬さん著の、ベストセラーになった本です。
遅ればせながら読む機会に恵まれたので、メモがわりに要約を書きます。

人は、生きている限り苦しみから逃れることはできない。ただし、苦しまない生き方は選べる。

苦しみにまみれた世界では、苦しみながら生きるか、生きることをやめるかの2択しかないように思えるが、苦しまない生き方を選んで生きる3つ目の選択肢がある。

苦しみの溢れる世界で苦しまずに生きるためには、「反応しない」訓練を積むことが必要である。

正しくは「不快だと感じるものに反応を返さない」習慣を持つこと。

その方法は、①自分の感覚をひとまず理解する、②良い悪いを判断しない、③そのままの自分を受け入れて、今の自分にできる「快」に向けた行動に意識を集中する。

①自分の感覚を理解するには、
・悩みをなくそうとせず、理解する
・その悩みの理由に着目する
・心の状態をきちんと見る

②良し悪しを判断しない
・見解、意見、知識、決まり事にとらわれない。自意識から自由でいる
・ないものをあると勘違いしない

あると勘違いしやすい「ない」ものを具体的にいうと妄想。他人に向ける嫉妬や、自分に対する過度な期待(さらにはそれと現状のギャップから生まれる苦しみ)はただの妄想。過去の嫌な記憶や挫折も、妄想。
虚実の確かめようがないもの。(仏教用語の「捨」)

目を閉じると脳裏に浮かぶ不快な感情はみんな妄想。目を開けると形がないことに気づく。
目に見えないものはみな捨てるべき妄想と考える。

具体的な「捨」の手順は、①自分が妄想に囚われていることをただ自覚する、②不快=妄想だとラベルを貼る、③忘れる

不快を感じたら、その原因に「悲」の感情を向ける
妄想を捨て、自分が他者にできる貢献を考え、実践する

人の苦しみは三つの執着から生まれる。
①求めるものを得たいという執着
②手にしたものがいつまでも続くようにという執着
③苦痛になっている物事をなくしたいという執着

お金、モノ、人、快適な暮らし、地位や名誉は記号にすぎない。それらに頼らず、自分自身と正しい道のみを拠り所として生きる。他のものに縋らない。

正しい道とは、自分が今から実践できることで、他者貢献に繋がるもの。過去も未来も考えず、今の自分にできることで良い。また、それは他者にとって役に立つものである。

努力して道を歩んでいるのに不快な時は、修正の合図。認識を改め、進む道を見直し、快に向かうようにする。

正しい道は、自分の内側にしかない。他者との比較からは見えてこない。迷ったり怒りを感じたら自分の内側を見つめて修正する。

非常に合理的な内容でした!
自分がいかに妄想に縛られているか反省…しつつ、この反省も自虐的なだけなら意味がないので批判しないようにする。
要するに高度なメタ認知と、自分自身を含め「人」とはクールな付き合い方をすべき、と言った具合に理解しました。

「僧侶を目指さないなら『快』は否定しなくて良い」など、ストイック礼賛でないところも、個人的にはありがたい、実践の障害を下げてくれるように感じました。
早速、よく観察してラベルを貼って自分と切り離し、方向性を修正したら忘れる生き方を実践したいと思います。

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