日記|おもしろそうかどうか?で決める

『科学がつきとめた「運のいい人」』を読んでいる。

人は、選択するとき、
「どちらが正解か、どちらが正しいか?」
で判断してしまう。しかし、それを、
「どちらがおもしろそうか?」
という基準で考えてみようという話。

これまでの人生で、どちらかというと、おもしろそう!を基準に選択してきたように思う。というより、将来の就職のことなどは全く考えずに、基準はおもしろそう!だけだったかもしれない。
・書道:下書きをなぞるのがおもしろそうだった(年長)
・卓球:顧問の先生がおもしろそうに話していた(中1)
・地球惑星科学科へ進学:高校の地理の先生の地形の授業がおもしろすぎた(高2)
・ブルーグラスサークルに入る:生演奏を聞いて、陽気な音楽で心躍る体験をした(大1)
・地質学(火山学)研究室を選択:火山学の授業で火砕流という噴火現象があり、故郷の山口県にその堆積物があるという話をきいておもしろいと思った(大2)
・大学院進学(修士):もっと火砕流堆積物のことを知りたいと思った(大4)
・色彩検定3級取得:フォント、配色、デザインに興味があって、体系的にわかるとおもしろいと思った
・小型バイク免許取得:自由に走り回れることがおもしろいと感じた
・FP3級取得:お金とは何か?が理解できなくて、少しでも全体像がわかるとおもしろいと思った

選択に関して悔いはあまりないのだが、内面に抱えている暗くて重たい荷物が、自分を常に悩ませる。

しかし、おもしろそう!で選んだからといって、続けられたかどうかは別問題だ。
そこに、自分にとっての根源的な悩みの種がある。
性格的に、ある程度やると満足してしまう。というより、本当は、努力をせずとも良い結果が得られそうなものを選んで、ある程度して、本気で努力しないと置いて行かれてしまう段階に到達したら辞めてしまう。という方が本質かもしれない。
薄々理解しながら、ここまできた。

また、実際におもしろかったかどうかも別問題だ。
今の仕事の部署への異動は、「これまでよりもおもしろそう!」で選んだが、おもしろくはなかった。「おもしろそう!」と自分に思い込ませることで自分を保っている感じがして、辛い。これまでの業務内容の方が、自分には合っていたと感じている。
ただ、これがわかったのは挑戦したからである。
こういうときはどうしたらいいのかな。大事な仕事だから、精一杯努めることしかできない。

岡本太郎の『自分の中に毒を持て』でも、ワクワクする方を選べ、そしてそれに命を賭けろというようなことが書いてあった。
他にも、少しでも興味を持ったものには挑戦を続けて、自分に合うものを探していこうというようなことも聞いて、できる限り実践してきた。

それを今後も本当にやっていけるのか?命を賭けられるほど何かに取り組めるのか?
少し後ろ向きになりかけている今日この頃。
それでも日々は続いていく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?