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鉄道格差理論

久しぶりに電車の話をします。
吊り広告って、その路線のカラーが出ていると思いませんか?
もっと食った話をすると、吊り広告はその路線ユーザーの文化レベルや金銭感覚を表している気がします。さらに嫌な言い方をすると、吊り広告を見るとその路線ユーザーの民度がそれとなく分かる、と思います。

電車に乗っている時ってなまじ時間があるので、どうでもいい吊り広告をなんかじっくり読んでしまうんですよね。企業の思う壺。さすがに企業の広告戦略として古くから生き残っているだけはあります。
ただ言い訳をさせてもらうと、私に関しては電車に乗っているときにスマホをずっといじり続けるのがなんとなく嫌なのもあります。中学の時に地元の同級生のギャルが「電車でみんなが携帯見てる光景マジ無理」って言ってるのを聞いて「カッケー」って思ったのがきっかけです。もう10年近く経ちますが、あの子今どうしてるのかなあ。

私が前職の通勤で使っていた路線の吊り広告はというと、

「金借りろ!(消費者金融)」

「ムダ毛根絶!(脱毛サロン)」

「これを読め!人生を豊かにしろ!(なんかその道の人が書いた自己啓発本)」

となかなかに強い主張が飛び交っていました。
私は前述のギャルから譲り受けたポリシーを守っているので、それらの吊り広告に毎日しっかり目を通します。働く前からちょっとゲンナリしちゃうのは、それらの強いパワーに当てられているからなのかな?と思います。いや低血圧のせいか? いや単純に労働が嫌いなだけか。

通勤以外の、休みの日にちょっとおしゃれな居酒屋に行く時などは、違う路線を使います。そうすると吊り広告が示す金銭感覚もちょっと変わるのが面白いですよね。分譲マンションのキラキラポエムとか、博物館・美術館の特別展の宣伝とか、ミュージカルの宣伝とか。同じ方角に並行して走っている路線でも、ちょっとずれるだけで文化レベルがガラッと変わる。一方ではモーレツサラリーマン。一方では絵画鑑賞マダム。

あの路線沿いに住んでいるハイクラスの人たちに溢れる自信はきっと、電車移動時に目にしているものからも養われている。かもしれない。

庶民は毎日時間をかけて会社に通うわけですが(このリモートワーク全盛期にそんな人は少なくなりつつあるのかもしれませんが)、その時に目にするのは、「金借りて自分の世界を広げろ!」「腕足の毛を無くし見た目を清潔にしろ!」「結婚しろ!」「資産運用!」「新聞読め!」「もっと勉強しろ!出世しろ!」。
朝から主張をぶつけられ、クタクタになった帰宅時にもぶつけられ、焦燥感を植え付けられ、家に帰りつくまで心休まらず。寝て起きたらまた同じ電車に乗って。ストレス過多。負のスパイラル。庶民はずっと庶民のまま。

これが私の「鉄道格差理論」です。

ポリシー捨ててスマホでも見とけば?というツッコミは受け付けません。

完全に蛇足ですが、上京してトレインチャンネルを初めて見た時は「都会すげえ」って思ったなあ。電車の中でテレビが流れてるんだもん。天気予報とか綺麗な女の人がメイクしてるCMとか。もうほぼテレビだよねあれ。都会はすごい。

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