Twitter(現X)で「柴崎KOHH」と検索すると、その約1/3(23個中の8個)が2015年にツイートされている。 2015年は、1/1にKOHHのファーストアルバム『梔子』がリリースされ、1/17に柴咲コウ初の単独主演ドラマ「○○妻」が放映開始した年である。
メトロイドのサムスは寒さに弱いという設定があると聞いた そしたら寒過ぎてサムスになるんじゃなくてサムスになったから寒過ぎるってこと!? という日でした
日記を書くにあたって、特にルールとかは決めたくない。書くことが苦痛になる原因はなるべく避けたい。 書く量も、内容も、頻度も、特に決めない。でもひとつだけ、できれば意識したいことがある。それは「文章としての強度を持っていること」である。 強度とはなんだろうか。僕も多少なりとも現代美術やら映画に触れているのでよく使う言葉だが、僕が考えている強度とは、つまり「その表現がその方法でないといけない理由をどれだけ説明できるか」である。例えばその歌はなぜ書き文字では駄目なのか、その劇映
メルカリでTogaのアクセサリーをよく見ている。その最中、ダブルバックルコンチョベルトという文字列が目に入ってきた。あまりに口に出したい言葉すぎると思った。 ダブル、バックル、コンチョ、ベルト、その全てが心地いい。ダブル、バックル、コンチョで三段跳びをして、ベルトで着地するような感覚がある。コード進行で例えるとIV-V-III7-VI。もちろん最後はマイナーでもいい。 そんな日でした。
ストラテラを飲んでいる。 ストラテラはいわゆるADHDの薬でADHD特有のノルアドレナリン再取込を防いでくれる薬らしい。要するに、分泌されたアドレナリンをちゃんと感じやすくしてくれる薬である。初めに断っておくが、投薬による治療を勧める文章ではない。心療内科にかかるハードルは低い方がいいと思うものの、各自、医者両名の判断で行うべきものであると思っている。 幼少期からADHDの症状に悩まされてきた。主に多動ではなく不注意の方である。看板という看板にぶつかり、忘れ物という忘れ物を
データの整理していたら2年前「ソラリス」を取り扱ったときの文が出てきたのでちょっとアップします 「海」や「宇宙」「大地」、それらはしばしば神に例えられる。人間にコントロールできない強大なもの、広大なものは信仰の対象となりうる。 この場合の「神」とは一体何か。それを考えるために、マックス・ヴェーバーの議論を引き、考えてみたい。ヴェーバーは信仰の形態は呪術から宗教へ発展していくと考える。この二つはどちらも神と呼ばれる、人類を超越した存在、人間の行動を規定す
ジェームズ・ブライドルの授業を受けた。 彼の経歴や思想は、「NEW DARK AGE」の書評を参考にしていただきたい ジェームズ・ブライドルはテクノロジーの中に危険性と余地を見出す。今まで、テクノロジーの可能性と危険性、その両面性について様々なアプローチで論じられてきた。ブライドルの論は今までのテクノロジー論と何が違い、何が源流であるのだろうか。 グレアム・ハーマンの「オブジェクト指向存在論」の類似性やマクルーハンのテクノロジー論との差異、ラブクラフトという共通の祖
前書き COVID-19流行によって、「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方が容易い」というテーゼの誤謬が露呈した。少し消費活動が麻痺するだけで、資本主義のシステムは揺らぐ。そこには以前のような絶対性は存在しない。そして、その絶対性に立脚していたVaporwaveもまた、である。 もはや以前のようにVaporwaveが受容されることはないだろう。Vaporwaveはついに「死ぬ」運命にある。そこで、Vaporwaveに引導を渡し、その思想を受け継ぐために、「Vap