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安全基地と冒険

二〇一六年十一月二十八日月曜日

晴れ つめたい風ぴゅーぴゅー

ねむくてねむくてねむくてねむくて。どろっとでろっと、音でいうとそんなふうに布団のなか。

こうえんにて、おむすびをたべるけれど思いの外つめたい北風。三鷹市星と森と絵本の家(どうしてもなまえが覚えられない。いまも、検索。)へ行くことにした、バスに乗って。シンプルでしずかに粛々と誠実にそこにいる場所。平屋の家を改築して、カテゴリーごとに本棚にならぶえほん・年ごとの展示をたのしむことができる。十二畳ほどある畳の部屋にはちゃぶ台とつくえがぽつんといるだけ。古い家ならではの部屋と部屋をつなぐ長い廊下。本棚が並ぶ部屋の床にはホットカーペットが敷いてある。のんさんくらいの子にも、床はあたたかくただただ縦横無尽にはいはいしまくることができる寛大なところなのだ。置いてあるえほんは、つよい偏りはないようにみえる。あってほしいもある、出会いもある。けれど図書館というほどの量ではなく、量と質が適当だなと思う。

閉館まで一時間くらいの時間帯。娘さんが二十代の親子、四人グループの三十代の女性たち、二才の女の子とお母さん、四才くらいの男の子とお母さん、二才くらいの男の子とお母さんが二組、そしてのんさんとわたし。はいはいをしているのはのんさんだけ、最年少だった。のんさんには線引きがない。気になるひとのあしもとでとまり見上げてみたり、走っていく男の子を追いかけてみたり、えほんをひろげてよんでいる親子のもとへ入っていったり。彼女のその線を引かない軽やかさがほんとうにすきだ。ほかのこたちは、たまたまみんなひと見知りというか照れ屋さんだったり驚いたりして、のんさんの急な訪問にバリアをはる子が多かった。ここは公の場だけれど線がサインペンほどの濃さで引かれたプライベートの中にいるというかんじがした。お母さんとの甘い時間を味わっている。それは成長段階によるものなのか、性格によるものなのか。

わたしもひと見知りと親にいわれて育った。このごろ思うのは、ひと見知りのようなもののおおきな要因は不安なのではないかということ。のんさんは、いまのまま安心してどこまでもずんずんゆくといいなと思う。

夜ごはんは、くるみ和え(小松菜、人参)、水炊き(椎茸、白菜、大根、麩、豆腐)、ごはん。

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