答案の迫力・迫真性

ロー生のとき、合格者の先輩から「答案の迫力というか、迫真性みたいなものが感じられると受かる気がする」というようなことを言われたことがあります。

その時はイマイチわかりませんでしたが、受かった今は何となくわかるし、実務に出た後も重要なことだなと思ったので、書いてみようと思います。

私なりに思う「答案の迫力」というのは、生の事実をどこまで分析して言葉にできるかということだと思っています。

司法試験はとにかく時間がないので、ある程度仕方ない部分もあるのですが、例えば「腹部という人体の枢要部を刺突しているので、殺意が認められる」みたいな書き方をしてしまうと思うのです。

司法試験で殺意の有無が大きく問題になることはあまりないかなと思いますし、配点も大きくはないですが、実際の試験で書くかは別として普段から「何故腹部は人体の枢要部か?」「刺突していれば何でもいいのか?」「枢要部を刺突すると何故殺意があると言えるのか?」など、意識しておく癖をつけるというのが大切かなと思っています。

先程の例も、本来であれば「腹部は、複数の重要な器官や血管が通っており、ナイフのような鋭利な凶器で刺突すれば、重要な器官や血管を傷付けて死亡させる危険性がある点で人体の枢要部と言える。甲は、正面から腹部を鋭利な刃物で刺しており、人体の枢要部である腹部を刺突することを認識していた以上、死亡結果が発生することを認識・認容していたといえるから、殺意が認められる」というくらいに書くべきところかと思います。

司法試験では、試験委員が多く配点を振っていると思われる箇所ではこれくらいの分析を、そうでもないと思われる箇所では落とさない程度に軽く流して書くというのが大切なんだと思います。

この、厚く書くべき場所と薄くてもいい箇所を適切に区別できることが、いわゆる「答案のセンス」というものかなと思っています。

この見分けかたは難しいのですが、司法試験で言えばたくさん事情が書いてあれば、当然使ってほしいということでしょうから厚く書くべきということなのでしょうね。

私は、受験生時代はそこまで意識してませんでしたが、実務に出てから起案するたびこの言葉を思い出します。

書いていて「何か遠いな…」と思うことがあるのです。

「遠い」というのは感覚的なのでうまく言葉にできないのですが、何というか、もっと適切に評価できる言葉があるはずだ、という感覚です。

これは法律の勉強とは少し違う気がしています。

勿論、論理的な説明で近付けることもあるのですが、多くは言葉を知っているかとか、日本語表現な気がしています。

別に小説のような感動的な言葉で書く必要はないし、あくまでも淡々と、でも読んでいて「なるほど、そうかも」と思わせる、そんな表現を心掛けています。

これって司法試験もそうなんですよね。

司法試験は答えがない、結論はどっちでもいいなどと言われます。

でも一方で、多数派があるとか、判例から逸れるなとかも言われます。

判例から逸れるなというのは、説明が長くなるからという戦略的意味では同意ですが、本当に結論はどちらでも良いのだと思います。

大切なのは「なるほど、そうかも」と読んでる人に思われることができること。

じゃあそのためにはどんな勉強をすればいいの?と思われるかもしれませんが、特別な勉強は必要ないかなと思います。

私が意識していたのは、優秀答案とかを読みながら「私だったらこう書くかも」とか「この意味のわからない部分は何故意味がわからないんだろう?」とか考えることでした。

優秀答案を写経しつつ、納得できない部分は自分なりのアップデートをして最高の答案を作るとか。

あと日常生活でも役立つのは、自分の感情や考えていることを言葉にする方法です。

意外と難しいんですよね、頭の中で考えていることや感情って、断片的で抽象的です。

だからこそ、「こんな風に思っている」「こんな風に考えている」「うまく言葉にできないけれど、例えるとしたらこんな感じ」を言葉にしてみるというのは有用かもしれません。

何だか抽象的な話になってしまいましたが、心のどこかで覚えていていただけると嬉しいです。


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