目的が先、手段が後

ちょっと予定より早いんですが、もうひとつ記事を挟んでおこうと思いまして。

前回お伝えした「英文法をどう学ぶか」の前に、ですね。


手段には目的がある

というのも、手段には必ず目的があるはずなんですよ。

  • Aのために、Bをする

言うまでもありませんが、Aが目的・Bが手段です。
実際にはここまで単純な構造というのは珍しくて、大抵の場合はAが入れ子の状態となっています。

  • プロ野球選手になりたい

    • そのためには、スカウトにアピールする必要がある

      • アピールするには、試合に出て活躍しなければならない

        • レギュラーの座を勝ち取るのに、今必要なのは飛距離だ

          • 飛距離を上げるためにウェイトトレーニングを行う

ウェイトトレーニングは飛距離を伸ばしてレギュラーに選ばれるためです。だから最終目的地である「プロ野球選手」が同じであったとしても、その日その時のアプローチは人によって違ってくる。
ノックを受けるのが最優先の人もいれば、持久力をつけるために走り込む人もいるってことです。
ただ、この順序自体は変わりません。

目的が先、手段が後。
順序は常に一定です。

「そんなの当たり前でしょ」と自分でも思いますが、実際のところはどうでしょう。
その「最強メソッド」や「科学的に正しい画期的な方法」や「外資系企業に転職できた究極の学習法」や「東大式なんちゃらかんちゃら」は本当にあなたの目的に合致していて、本当に今やるべきことなのか?

僕が今回補足しておきたいのはこの部分、手段に至る前の段階です。
それを皆さんにより深く理解していただくために、少々遠回りに思えるかもしれませんが、まずはこのテーマについて考えてみましょう。

問題:
試験英語が話せることに直結しないのはなぜか?


試験に受かっても話せない?

「大学に受かった程度では英語は話せない」
僕が言うまでもなく、皆さん経験されていることでしょう。また「TOEICで900点とっても話せない人は多くいる」というのも有名な話。

その大きな理由が、入試で要求される能力にあります。

大学入試に必要な能力とは

まずどんな場面でも必要となる「基礎力」を土台としましょう。ここでは中学レベルの基本語彙、文法知識、発音を基礎力としてまとめます。
その上に積み重なるのが、

大学入試レベルの文法知識や語彙、その上に構築される読解やリスニングといった実践力。そして処理速度です。

大学入試ともなると、中学レベルの語彙ではさすがに太刀打ちできません。複雑で意地悪な長文にも対応しなきゃいけないし、リスニング力も問われてくる。
さらに限られた時間内で多くの問題をこなす処理速度 (慣れ) もある程度必要でしょう。つまり試験突破を目的とするなら、

  • 語彙力を高めるための単語帳

  • 文法を理解するための解説書

  • 知識の定着を確認するための問題集

  • 出題傾向を把握し、長文や問題数に慣れるための過去問

といった教材を地道にこなすのが近道である、と容易に想像できます。
王道にはちゃんと理由があるってことですね。

TOEICも基本的には「この先」にあると考えて良いでしょう。高得点を狙うにはさらなる語彙や文法を頭に入れた上で聴く・読む力を高め、処理速度をガツンと上げていく。

目標スコアが上がれば上がるほど、知識に根差した高度な実践スキルと試験対策が要求されると。
これが試験英語の大まかな要素であると仮定します。


「話す」はTOEICの先にある?

ただTOEICで高得点をとっても、それだけで英語が話せるかというとそうでもない。そこでこう考える人も多いでしょう。
「ここまでの学習で基礎力は付いたはずだ。さらに問題を解いて実践力を磨こう」

入試の先にTOEICや英検があり、そのさらに先に「話す」がある。
しかし、こうは考えられないでしょうか?

  • 「話す」は試験の延長ではなく、別ルートが存在する

  • 「話す」に必要な能力は、試験とは全く別の要素によって成り立っている

そう考えると、文法知識はそこまで必要無い気もする。もちろん語彙は扱うテーマによって必要量が大幅に変わってくるけれども、とりあえず話すだけなら基本語彙+αでなんとかなる気もする。

さて、この空白に入る要素とは一体何でしょう?


文法を学ぶ理由

あくまで僕はですが、この大部分を「慣れ」が占めていると考えます。それも試験対策のようなレベルではなく、圧倒的慣れです。
対策というより練習や訓練・習慣といったワードの方がイメージ的には近いでしょう。

4択や並べ替え問題に慣れるのではなく、難しい長文を分析的に読み解くことに慣れるのではなく、簡単な言葉を実際に読むこと・聴くこと・話すことに圧倒的に慣れる。

ということはその前提として、この部分にもまた慣れが必要なのではないか?

僕が高校英文法まで押さえる最も大きな理由が、ここにあります。

では次のテーマに移りましょう。

  • 文法知識はともかく、なぜ「基礎力と文法に対する慣れ」が文法学習で身に付くと考えたのか?


文法のもうひとつの側面

文法とは「言語のルール」である。
これはもちろん正しい定義です。たとえば『キク英文法』を適当に開いてみると、

few と little は「ほとんど〜ない」を表し、few は可算名詞の複数形を修飾して複数扱いに、 little は不可算名詞を修飾して単数扱いになる。

Rule 067-2

まさにお手本のようなルールブック的解説が随所に見られます。しかし見方を変えれば、このルールは few と little という (同じ意味を持つ) 2つの超基本語彙の使い分けでしかありません。他にも、

  • other と another、the other、others はどう違うか

  • a や the はどんなときに使い、どんなときに使わないか

  • 「最近」を表す these days、 recently、lately は、それぞれどの場面で使えるのか

全て語彙の中でも簡単な部類の単語ですが、実際正しく使えるかというとかなり怪しい。だから使い方をキチンと理解した上で、実際に使いながら技術として体に覚え込ませる。

新たな語彙を増やすより、簡単な (誰でも知っていそうな) 語彙に注目して、

「なんとなく知っている」から「知っている」に、
「知っている」から「使える」に、
「使える」から「いつでもスムーズに使える」に、

知から技へ、段階的に上げていくイメージ。
圧倒的慣れとは、言わば「知から技へのプロセス」とも言えます。

このあたりの話は具体的な方法論とも直接関係する部分なので、詳しくは次の記事で触れることになるでしょう。


あくまで僕の手段

  • 目的が先、手段が後

この記事の中で、僕はずっとこの話をしてきました。最後にまとめておきましょう。

  • 英語が話せるようになるには、試験とは別の要素が必要

    • 別の要素とは、圧倒的慣れである

      • 実践的スキルに慣れが必要であるなら、その地盤となる基礎力にも慣れが必要なのではないか?

        • それを獲得するには、基本的な語彙の使い方や語順にフォーカスした文法が丁度良い題材である

注意しておきたいのは、文法を学ぶかどうか、またどういったメソッドで進めるかは僕の目的のための手段でしかないってことです。そしてあなたのメソッドは (細かいところまで突き詰めれば) あなたにしかハマらない。

簡潔に言い換えるなら、こういうことになります。
「他人のメソッドに過度な期待はしない方がいい」

「英語の上達」という最終目的地が同じだったとしても、その日その時のアプローチは人によって違います。まして具体的方法となれば十人十色、千差万別がむしろ自然です。

あなたが今取り組んでいる、その問題集で得られるものは何でしょうか?
文法学習は何のためにやるんでしょうか?
多読は? イマージョンは? ディクテーションは? etc…

ぜひ皆さん、考えてみてください。
そして自分自身のメソッドを開拓してみてください。


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