スイッチは、どこにある?

前回、一ヶ月以上ぶりに記事を書きました。
元々かなり気分屋で、一年のうち1/3くらいは全く書かない時期がある僕ですが、不思議と書くスイッチが入ったというか、そういう感覚があったんですよね。
今回はそんなスイッチのお話を。

スイッチを切った日

去年の11月以降、気持ち的には完全に書かないモードに突入していました。
一番のきっかけは2023年10月。Google検索のコアアルゴリズムにアップデートが入り、そのあおりを受けてブログへのアクセスが大幅に減少したこと。
収益も大体半分くらいになったんじゃないかな?

儲けるためのブログではないと言いつつ、なんやかんや広告収入でレンタルサーバーの料金を賄っていたので、トータルでマイナスが見えてくると結構キツイなと。

そこからは書くより読む・学ぶ方に重点を置き、ちょっと面白いなと思えるObsidianのプラグイン見つけても「まぁ書くほどでもないな」とか、新たな気付きを得ても「別に公開しなくてもいいか」と考え、自ら進んでスイッチを切っていく。

ぱちん、ぱちん

スイッチ不要で書けた日々

ただ12月に開催されたObsidian Advent Calendarは例外で、心底楽しめましたね。

質、量ともに予想を遥かに超えるコンテンツが集まったし、20を越える記事に対して記事としてコメントを返すというのは、僕にとっても新鮮な体験でした。

ぶっちゃけ、ラクだったし。

リアルに時間が取れない時期というのもあって毎日投稿にはほど遠い頻度でしたが、12月に僕がブログに投稿してた記事ね……めちゃくちゃ書きやすいんですよ。
だって書くべきテーマが、記事として最初から与えられてるんだもん。

与えられたテーマを受けて「僕はこう思う」とか「自分ならこう書くんじゃないだろうか」を表現すればいいわけで、一から考えるより格段に書きやすい。書きやすいと言うか、書き始めやすい。(重要)

ついでに言えば、「書くほどでもないな」が無いんですよね。何しろ元の記事を書いた執筆者は、そのテーマについて書いてるんだから。

これはこれで、書くスイッチの入れ方としてアリなんじゃないかと思った次第です。いや、むしろ「スイッチ不要で書ける方法」の方が近いのかな。
書きたいけどなかなか書き始められない、書くべきテーマが思いつかないって人は、誰かの記事に対して反応してみるってのも有効な手段ではないでしょうか。

不意にスイッチが入った日

で、話は前回の記事に移ります。

気持ち的には完全に書かないモードに入っているにも関わらず、これに関してはすんなりと書くモードに移行しました。
何がスイッチを入れたのかは割とはっきりしていて、世に出た (出てしまった) コンテンツに対して修正版をリリースしたかったんですよね。

ソフトウェアの開発者がパッチによって穴を塞ぐのと似たような感じかな。
新機能を付け加えたりパフォーマンスを改善すると言うよりは、ただ穴を塞ぎたいという気持ちの表れ。提出された原稿に赤入れするような感覚。

スイッチは、どこにある?

以上の経験をふまえて考えると、こんな仮説が浮かび上がってきます。

  • モチベーションが落ちたとき、ただ回復を待つだけではなく、自発的、意識的に介入できる余地があるのではないか?

  • 書く意識を持って読むこと、あるいは不完全な状態だとしても何かしら書いて公開することこそが、書くスイッチを入れ直すのに有効な手段なのではないか?

あなたはどうでしょう。
勉強やスポーツや仕事といったあなたのフィールドでスイッチが切れる感覚、あるいは切れたスイッチが入り直す感覚を感じたことがあるでしょうか?
またそれはどんな瞬間に訪れるんでしょう?

スイッチがどこにあるのか。
それが見えてくると、継続するための、習慣化とはまた別の武器が手に入るかもしれません。
もしかしたら、そんなものはどこにも無いかもしれないけれど、あったらあったで面白い。だからついついあれこれ考えてしまう。
たまにはそんな、何気ない文章。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?