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マッチでパチンコホールMAPを作ろう ⑥愛知県 愛知県 「ハンエー」(名古屋市中区)

こんにちは。偏愛パチンコライターの栄華です。

老人施設に勤めている看護師の家族が濃厚接触者となり、一人暮らしの自宅で健康観察中です。朝な夕なに「無事ですか」とLINEや電話を入れる日々。高齢で持病もある人なのでレスポンスが少しでも鈍いと縁起でもないことを考えてしまいます。しかしこの2週間は最低最悪に縁起でもない事態を想定してナンボ。まあ2週間をやりすごしたとしても、冬の第6波なんて懸念しはじめると暗鬱な想像は止められそうにありませんが、そんな中で我々は「CR機との惜別」という喫緊の課題に立ち向かわねばなりません。私も本稿の図書館通いと並行してやりぬく所存です。

<マッチでパチンコホールMAPを作ろう>
昭和時代のパチンコ店の広告マッチを蒐集している栄華が、ラベルに記された情報からお店の所在地(できればマッチの作られた時期も)を特定し、「昔のパチンコ屋さんマップ」を作成する!


名宝劇場とは?

今回のマッチ:ハンエー

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オシャレなラベルですね。ツルとカメのラインがかわいい。
所在地のヒントは「広小路通り名宝劇場東」。

実はですね、本連載に「名宝劇場」の建物が登場するのは2回目なんです。

第1回目の「名駅前・パチ銀ビル」編で登場した「なごや東宝」は、名宝劇場と同じ「名宝会館ビル」の中にありました。今でいうシネコンみたいなビルですね。

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▲名宝会館オープンの翌年1936(昭和11)年に撮影された写真


▲現在は「名古屋東宝ビル」になっています。以前は映画の試写室もあったようですが、2021年9月現在はなくなっています。

80年以上の歴史の中で、建物そのものの名称や館内施設がめまぐるしく変わっているのでややこしいですが、本稿ではとりあえず、

名宝会館≒名宝劇場≒なごや東宝≒名古屋東宝ビル

だと認識してください。


ハンエーが2店舗?

ではいつものように住宅・商工地図を参照します。
名古屋市の「鶴舞中央図書館」に所蔵されている中区の地図で最も古いものは1955(昭和30)年。その時点で、既に「ハンエー」は存在していました。現在の地図上に位置を書き込んでみます。

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▲2軒の「ハンエー」がありますが、1955年に存在していたのは名宝劇場に近いほうの1軒のみ。もう1軒は1961(昭和36)年に現れた支店です。名宝劇場に近い店にのみ「喫茶 麻雀 パチンコ」の表記があり、ここがマッチラベルの店舗だとがわかります。

ということで場所の特定は完了。MAPに掲載します。

<MAP>


現役のホール企業?

次に、営業していた期間を探ってみましょう。前項にも書いた通り、住宅地図が昭和30年以降しか残っていないため開業年は不明です(が、後ほど判明します)。クローズした時期は「全国遊技場名鑑」(娯楽産業協会)で確認します。

■1968年
名宝劇場に近い方の店舗(マッチラベルの店)は「第一繁栄」という名称で記載されていました。「ハンエー」は「繁栄」だったのですね。もう一軒の店舗は「第一繁栄東店」と表記されていました。第一繫栄…175台設置。東店…パチンコ129台、スマートボール21台設置。

■1972年
「第一繁栄東店」の記載が消えた

■1974年
「第一繁栄」も消える

1973年以降、名古屋・栄地区に「ハンエー」「繁栄」というホールは今日現在まで確認できていません。が、他の地域にならあります。「ハンエイ」というホールが、現在も愛知県稲沢市と岐阜県の柳ケ瀬に存在しているのです。 読者さんからもこのような情報を頂きました。

ハンエー? 稲沢市に本社を置く株式会社繁栄では?
ホームページを覗いたら沿革は記載されてませんが、トップページを下にスクロールしてみたらアミューズメント事業が記載されてまして、そこに『昭和23年名古屋市伏見で創業』となってるではありませんか。
(きまぐれ★オレンジロードさん)

稲沢市のハンエイがかなり昔からあるホールなのは知っていました。しかし、昭和23(1948)年創業……まさか70年以上の歴史を有している企業だったとは!

と、ここでふたつの疑問が浮かび上がります。

①株式会社繁栄の「伏見の創業店舗」はどこにあったのか?
②マッチラベルのハンエーは、株式会社繁栄が経営していたのか?

まず①について。

1955(昭和30)年の住宅地図の「伏見駅周辺」を穴があくほど何度何度も見ましたが、ハンエー、繁栄、ハンエイというホールを見つけることはできませんでした。「私の見落とし」または「1955年には既に閉店していた」のどちらかでしょう。

②について。

これはさすがに直接お尋ねしてみないとわからないので、株式会社繁栄さんに電話してみました。すると、ホールの経営に深く携わっている方がとても親切に対応してくださり、重要な事実を知ることができました。

<電話取材でわかったこと>
●マッチラベルのハンエーは、株式会社繁栄が経営していたホールで間違いない
●名古屋市内では、中区広小路に2店舗、大曽根1店舗、中村区太閤通り店1店舗の計4店舗を経営した
●名古屋市内の店舗を畳んで稲沢市に経営拠点を移した
●広小路の店舗では、あの正村竹一氏が釘のメンテナンスをしていた

ハンエーの経営会社は株式会社繁栄でした!
でも中区には広小路の2店舗しかなかった……?

先ほど私は「伏見駅周辺にハンエーというホールはなかった」と述べました。その理由はどうやら「地図の見落とし」「1955年には既に閉店していた」どちらでもなかったようですね。

前出の地図を見て頂いてもわかる通り広小路の2店舗は伏見駅に近く、駅から遠い方の店からでも徒歩5分ほどの「伏見エリア」です。「ここは伏見というより納屋橋では」と、名古屋在住歴25年の自分の感覚に引っ張られ過ぎていました。コーポレートサイトの「伏見で創業」という表記は、おそらく今回のマッチラベルの店舗のことだったんですね。と、いうことで2つの「ハンエー」の営業期間がだいたい判明しました。

<営業期間>
●繁栄(マッチラベルの店舗):1948(昭和23)~1973年まで
●繁栄東店:1961年ごろ~1971年ごろまで

今の株式会社繁栄の社長さんは4代目。2021年9月現在、稲沢市で2店舗、岐阜県岐阜市で1店舗のパチンコ・スロット店を経営されています。

電話対応をしてくださった方は、株式会社繁栄の創業者と共に「血の小便が出るほど」働いて会社を成長させた役員のご子息で、幼い頃に広小路の店のスマートボールで遊んだこともあったそうです。いきなり不躾な電話を差し上げにもかかわらず、懐かしそうに昔の話をたくさん聞かせてくださいました。

神対応と歴史の深みに触れてすっかりハンエーファンになってしまったパチンコホールオタクは、矢も楯もたまらずといった風情で稲沢へ遊びにいく準備を整えているところです。

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次回予告

次回は番外編。名古屋・栄シリーズの総まとめとして、

1955(昭和30年)~1970(昭和45年)の栄地区のパチンコ店全図

を作成します!

エリアは栄1丁目~3丁目、錦3丁目、東新町です。マッチラベルがある店をいつものMAPに書き加えるのはもちろん「マッチラベルがない店」についてもできる限り網羅します。なんと30店舗近くマッピングしますのでお楽しみに。

栄地区のホールに思い出がある方は、

栄華Twitter:@henaieika 宛にDMか、

tengo2.5.777@gmail.comにe-mailをお寄せください。

どうぞお気軽に。
お待ちしております!


<情報提供ありがとうございました!>
株式会社繁栄様
きまぐれ★オレンジロードさん

※この記事は2021年9月に発表されたものです。掲載サイトの移行に伴い加筆修正しました(2021.11)

〈参考文献〉
「全国遊技場名鑑 西日本編」 娯楽産業協会 1969~1975年
名古屋市全商工・住宅案内図帳 中区住宅地図協会/編 1955年、1957年、1958年、1959年、1961年、1965年、1967年
名古屋市新住宅宝典 中区(南部) 中区(北部)  住宅協会/編 1963年、1964年


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パチンコ店の「建物」に偏愛を捧げるフリーライター。全国47都道府県、2500店舗以上のホールを訪問。「八画文化会館 vol.7 I ♡ Pachinko Hall ~パチンコホールが大好き!~」監修。主な執筆媒体は「パチンコ必勝ガイド」。CS放送パチテレ!に出演多数。偏愛パチンコバンド「テンゴ」のボーカリストとしても活動。








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