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マッチでパチンコホールMAPを作ろう ①愛知県・パチ銀ビル

こんにちは。偏愛パチンコライターの栄華です。

先月予告した新企画を本格的に始動します。

<マッチでパチンコホールMAPを作ろう>
昭和時代のパチンコ店の広告マッチを蒐集している栄華が、ラベルに記された情報からお店の所在地(できればマッチの作られた時期も)を特定し、「昔のパチンコ屋さんマップ」を作成する!

第1回目は予告通り、愛知県名古屋市、名駅前の「パチ銀ビル」のマッチです。

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前回この画像を掲載して情報を募集しましたが、残念ながら1件も寄せられませんでした。この時代のパチンコ店の記憶がしっかりある方となると80歳オーバーですから、さすがにPOTは読んでおられませんかね……。

でもまあ、想定内です。読者さんからの投稿ありきではなく、自力で調べたことをどんどん発信してゆきますぞ! という企画なので。つべこべ言わずにご報告しますね。


~マッチが作られた時期~

映画の広告がついているので特定は簡単。『夫婦善哉』(豊田四郎監督、配給:東宝)が公開された1955(昭和30)年で間違いないでしょう。というのも、「なごや東宝」は東宝映画の封切り館だったからです。

◆なごや東宝:1935(昭和10)年に「名古屋宝塚劇場」として現在の名古屋市栄1丁目に開業。1938年には映画館がオープンし、1954年に「なごや東宝」と改称。


~パチ銀ビルがあった場所~

名古屋市中村区名駅4丁目10-20。現在はアミューズメントビル「コムテックタワー」が建っています。

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~補足情報~

パチンコ業界誌「娯楽産業」の1964年8月号にパチ銀ビルの写真が掲載されていました。正式名称は「パチンコ銀座ビル」。「銀座」という名前のパチンコ店だったんですね。

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ガラス窓の面積を大きく取り、通りに向けてゴージャスな店内を誇示するようなデザイン。夜は浮かび上がる内装が美しかったでしょうね。「娯楽産業」には店内の写真もあり、このようなキャプションと共に紹介されていました。

【どっしりとした店構えの中に、上品な風格があり、さしずめ “パチンコ百貨店” といったところ。<中略>二階へ通じるラセン階段。手洗所の意匠もしゃれている。店頭部の空間を強調しているのが効果的。】

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「パチンコ銀座」はこの写真の数年後に閉業してしまったようです。1970年以降のパチンコホールのリストに「銀座」の名はなく、跡地と思われる場所で「モンテカルロ」というパチンコ店が営業しています。

80年代後半になると、同じ場所に「スロットル大都会」が現れます。「モンテカルロ」はゲームセンターとなり、スロットル大都会の2階で営業していたようです。

そして90年代前半、コムテックタワーが開業。「スロットル大都会」はコムテックタワー内で営業を続け、2018年に閉業しました。

「パチンコ銀座」の経営会社を調べましたが、少し調べた程度では裏取りできそうにないので今回は明言しません。よって、ここからは仮説としてお読み下さい。

これは「コムテックタワー」の壁面。「1954」という数字が刻まれています。これは何を示しているのでしょう?

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もし、1954が西暦を表しているのだとすれば、パチ銀ビルの開業年の可能性もあるのではないでしょうか。ちなみに「モンテカルロ」「スロットル大都会」、そしてコムテックタワーの経営者は同一です。

マッチラベルが作られたのは1955年。開業まもないパチンコ銀座が宣伝のためにマッチを作ったのかも……と考えたくなりますね。


<MAP>

記念すべき1店目を登録。今日は「千里の道も」という言葉を人生イチ強く噛み締めた日となりました。


~次回のマッチラベル~

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引き続き愛知県名古屋市です。昭和20~40年代の名古屋市内には「正村」という名のパチンコ店がたくさんありました。これは「大曽根」の正村です。情報やエピソードをお持ちの方は、

栄華Twitter:@henaieika 宛にDMか、

tengo2.5.777@gmail.comにe-mailをお寄せください。

お待ちしております。


※この記事は2021年3月に発表されたものです。

プレゼンテーション2

パチンコ店の「建物」に偏愛を捧げるフリーライター。全国47都道府県、2500店舗以上のホールを訪問。「八画文化会館 vol.7 I ♡ Pachinko Hall ~パチンコホールが大好き!~」監修。主な執筆媒体は「パチンコ必勝ガイド」。CS放送パチテレ!に出演多数。偏愛パチンコバンド「テンゴ」のボーカリストとしても活動。

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