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(考え方の)歳はとりたくないものだ

最近テレビやSNS上でよく出合うこの表現。

○○には感謝しかない

これって昔から一般的に使われていた表現なのだろうか?
私が知らないだけなのかもしれないが、少なくとも頻繁に耳にするようになったのはここ1、2年のことのような気がする。

この表現をテレビで初めて耳にした時になんだか違和感を覚えた。
あと、同様に使われる「感謝でしかない」も。

大抵はお世話になった誰かへ対する思いの丈を述べる場面なんかで耳にすることが多いように思う。

○○さんには子供の頃からいつも良くしていただいていて…本当に感謝しかないですね。

と、こういった感じだ。

ここで違和感とともに浮かぶのはこんな疑問。
感謝しかない?本当に?
子供の頃から長い間お世話になって、その他の感情はないのだろうか?

いや、意図するところは分かる。
要は「とても感謝している、という言葉では言い表せないくらいに感謝している」といったニュアンスが含まれているのだろう。
でもそれなら言葉を尽くしていかに感謝しているかを述べればいいのではないか、などと思ってしまうのだ。

意図は汲めるのに、言葉尻を捉えてモヤモヤとしてしまうのは歳をとった証拠なのか…
若者の言葉の乱れを指摘する大人を疎ましく思っていたはずなのに、我ながら随分勝手なものだ。
自分自身「正しい日本語」を使えているわけでもないのに。

そもそも「正しい日本語」なんてものが怪しい。
言葉は変化するものだ。
誤用や誤読も広く一般に受け入れられれば、やがてそれが「正しい日本語」になるのだから。

言葉の「誤」が「正」へ変わる、その判断基準はどこにあるのだろうか。
世代別世論調査なんかで○%以上の人に受け入れられているものは辞書への掲載を検討するとかそんな感じなのだろうか…?(全然違うかもしれない)

歳を重ねると経験値が上がる分、自分が経験したことを根拠に物事を判断することが増える。
そして、自分の経験した範疇にないことを受け入れることが難しくなり、未知のものには否定的になりがちだとも思う。

年齢を言い訳にせず、自分の知らないことや新しい表現も柔軟に受け入れ、変化に順応できる大人でありたい。
外出を諦めた4連休の初日、自宅のテレビを眺めながらそんなことをぼんやりと考えている。

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