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感情
やぁ記事共有。
久しぶりに何か書こうかなと。
単純に書きたくなったというのも理由の1つのだ。
最近、訳が分からなくなったから個人的に成長出来たことをnoteという形にしてやろうかなと。
えぇ。
何を書くかと言うと、題名通り「感情」だ。
これ以上の事もないし、これ以下のこともないから自己満足で書く。
先日、母親と話す機会があった。
以前は毎日会っていたということもあって少しは、新鮮な気持ちで会話していたと思う。
ここまでは良い。
僕は母親にお願いというかこれはやってはダメだよと。
絶対やるなよと。
フリではないゾと。
念を押したにもかかわらず、電話して聴いてみるとやらかしていたのだ。
僕自身、怒るふりはよくするのだけれど、昔よりは短気ではなくなった分、感情を制御出来ていたはずなのに少し強めに言ってしまったわけですよ。
えぇ。
子供ですねぇ。
少し怒り気味で電話を切ったのち、考える訳です。
僕はなぜ「怒り」という感情を行使したのだろうかと。
別に注意を促すだけであれば、怒る必要もなければ、感情を荒ぶる必要性もないわけだ。
なぜかと。考えるわけですよ。
答えは簡単で、「心配が怒りという感情に変換されて相手を怒りで支配しよう」としてた訳なんです。
ふつーに考えて、やるなやるなと言われてやる人います?
まぁ、母なんですけど。
感情というものは不思議なもので、排泄物と同様必ず出るわけですよ。
俗に言う「喜怒哀楽」ですよ。
ただ、人である以上感情を出した後コントロールが出来るわけで、それが出来ないのは野生の動物ぐらいでしょう。
つまり、僕は無意識的には怒りという感情を使ったのだけれど、そこからコントロール出来たはずなのにそのまま流された野生の動物なわけです。
🐒🐒🐒
怒りたかったのではなく心配だったのかと。
納得いく結論を出したのち、人に対して本心で謝ったことがほぼなかった僕ですが
えぇ。
しっかり謝りました。
それはもうちゃんと。
まぁ、ちゃんとは嘘なんですけど。
僕にとってはこの感情という、不確定要素満載なものを改めて認識出来たこと。
自分でコントロール出来るようになった。
という点を見ても成長はしてるのかなと。
まだ感情で消耗してるの???
っていう、嘘の作り話でした。