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性交同意年齢引き上げ推進派への論難

日本では性交同意が有効とされる年齢(以下「性交同意年齢」と表記)の加減が13歳とされていますが、これを引き上げるべきだという議論があります。
望まない性交から子どもを守ることの重要性は私も十分理解するところなので、総論には私も賛成します。

しかし、そのために子どもの自由を侵害する恐れがあるということを一ミリも考えず「子どものため」「女性のため」で突き進む人の多さに、ほとほと呆れています。
子どもを守るために、子供の自由や人権に制限を加えるという考え方は、まさにパターナリズムだと言えます。しかし、これを主張しているのはいわゆる「お母さん保守」ではなく、リベラリストまたはフェミニストを自認する人たちなのです。

人々の、特に女性の自由や人権を拡大することを目標と掲げている人たちが、子どもの自由や人権を制限することに対して何らの逡巡も抱かないのには、Twitterでは毎日見られる現象ではあるものの改めて驚嘆させられます。

これについて、彼女たちに「その辺慎重に議論しない?」と提案したら、「お前は子どもをレイプしたいからそんなこと言うんだろ!」と袋叩きにされます。聞く耳を持ちません。
この聞く耳を持たない態度が、Twitterにおいておよそ対話というものが何の意味も持たないと私が考える最大の理由です。一部の論客は対話の可能性を信じて頑張っているようですが、140字以内でしか思考できなくなった人間に、対話に足る論理的思考能力などあるはずがない。

おまけに、元当事者が現在の当事者と同一人物ではないのに「元当事者である私の意見を聞け」とのたまう人まで現れる始末。そしてそれに対する批判にはwhataboutism(和訳すると「お前こそどうなんだマン」)を用いる詭弁ぶり。
「おじさんだって当事者じゃないだろ!」「お前こそ13歳の少女にアンケート取ったのか!」と言ったところで、元当事者のおばさんが現在の当事者に置き換わるわけでもないし、おばさんが13歳の少女の意見を代弁できるわけでもないのに、なぜこんなことを言って反論できたと考えるのでしょうか。思考回路が理解できません。

このように「私は元当事者だから現在の当事者の意見を代弁できる」とナチュラルに考えている人たちのことですから、もし本当に性交同意年齢引き上げに反対する13歳女子が現れたら、元当事者たちはこぞって彼女に「名誉男性」「性交したがりのアバズレ」の汚名を着せることでしょう。
既に「子どもの意見なんて大人に左右されているから本心とは限らない」などと言っている人がいます。それは逆もまた然りですよね。君たちおばさんの意向を忖度してものを言っていないと、なぜ断言できるのでしょうか。

彼女たちの意味不明な言動には枚挙に暇がありませんが、私がツイバトル中に被害に遭った人の発言からいくつか抜き出します。

「初経から1年しか経っていないのに性交のこととか考えていられないよ」
では、何年経てばいいのでしょう。仮に18歳や20歳にしたところで、「初経から○年経ったので、精神的に成熟した」と考える理由を説明できなければ、立法事実たり得ません。そして、それを説明するのは引き上げ推進派の側です。具体的な年齢まで挙げてらっしゃる方もいるのですから。
それに、初経を迎えたということは身体的には性交が可能になったということではないのですか。「子どもの成熟」という点において、精神的な成熟が目に見えない以上、身体的な成熟を指標にするのは合理性があるように、私には見受けられます。

「性交同意年齢が13歳だなんてのも明治期に作られた伝統なわけで」
私の過去のnote記事をご参照ください。(露骨な宣伝)
https://note.com/potedolce/n/nc9273ded64d8

確かに、昔の人は精神的成熟が速かったですからね。お前らと違って。
一方で発育は現代の方が良くなっていますので、例えば飲酒や喫煙に関しては年齢下限を引き下げてもよいのではと私は思います。だってあれ、身体の発育に悪影響を与えるからという理由で設けられた規制なんですよ。発育が早まれば、年齢も下げていいでしょう。

以上、Twitterがいかに対話や議論に向いておらず、自身の主張を根拠無く押し付けるだけの非自由主義者ばかりかを嘆きました。
つぶやきで対話は不可能。

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