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人間はどこまで行っても利己的にしか生きられないのだと思う。
人のためになりたいとか感謝されたいとか、そういうのは結果としてそうであったらちょっと良い気分になるだけであって、それら自体を最優先には生きるのは自分には辛い。
すべてを放り出せば復讐なんて簡単にできるのであるが、社会における自身の生存が危うくなるから復讐できないのである。
つまり、あなたの悔しい気持ちは社会の仕組みの犠牲になっているのである。
罪悪感とは、自分の物語に背いたときに発生する感情である。
人の上に立つことは、人を上から見ることとは違うのである。
現実と虚構を隔てるものは、現実と虚構を隔てているその意識を除いては存在しない。
幸福は退屈で盲目的な生き方に備わっている。
俯瞰的な視点を捨て、目の前の退屈さを是とすれば幸福はもたらされる。
世界を所有することはできない。
自分という個体ですら自分のものではない。
ただ観測するこの意識のみがそこにあるだけなのだ。
人間はどこまで行っても利己的にしか生きられないのだと思う。
人のためになりたいとか感謝されたいとか、そういうのは結果としてそうであったらちょっと良い気分になるだけであって、それら自体を最優先には生きるのは自分には辛い。
すべてを放り出せば復讐なんて簡単にできるのであるが、社会における自身の生存が危うくなるから復讐できないのである。
つまり、あなたの悔しい気持ちは社会の仕組みの犠牲になっているのである。
罪悪感とは、自分の物語に背いたときに発生する感情である。
人の上に立つことは、人を上から見ることとは違うのである。
現実と虚構を隔てるものは、現実と虚構を隔てているその意識を除いては存在しない。
幸福は退屈で盲目的な生き方に備わっている。
俯瞰的な視点を捨て、目の前の退屈さを是とすれば幸福はもたらされる。
世界を所有することはできない。
自分という個体ですら自分のものではない。
ただ観測するこの意識のみがそこにあるだけなのだ。