たりないふたりと、もっとたりない僕。

僕があの2人と出会ったのは、2019年だった。ちょうど山里さんが結婚して、
ラジオをやってると知って聴いてみたら、大喜利甲子園だった。ものの試しに
数枚送ってみたが、もちろん採用されなかった。だがハガキ職人という化け物の
人達を知れてとても幸福だった。誰のネタか忘れたが、「マシンガンじじい 
スタンガンばばあ」は今でも覚えている。その1、2ヶ月後、今度はオードリーのANNの存在を知り聞いてみたら、偶然にも若林さんが結婚を発表した回だった。
その事以外何も覚えていないが、テスト勉強していた僕はとても幸せな気分だった。こういう経緯でラジオにハマり、それなりに認知されるようになった(最近
書いてないし、採用されてないけど)。僕は何かしらの経緯(多分ラジオ)でたりないふたりの存在を知った。creepy nutsの同名の曲を聞いてみたらほとんど自分に当てはまった。そこからcreepy nutsにもハマったし、さよならたりないふたりも、ちゃんと見た。若林さんがあそこまでイカれてると思わなかったし、山里さんの負のエネルギーがあそこまで凄いとは思いもしなかった。

そして、2020の春夏秋を見て、色々複雑な感情になった。僕も人の恨みをよく
覚える方だが、山里さんの思考に少し違和感を感じたし、これ若林さんも悪いよな?と思う節もあった。だがそんな紆余曲折があり、2人はこの前、最高の漫才を僕たちに見せて解散した。少しばかり涙が溢れた。多分もっと前から2人の
事を知っていたら、ガン泣きしていただろう。あの漫才は2人の決心や葛藤
醜さをこれまでのたりないふたりの歴史を織り交ぜながら、さらけ出していた。
それは勿論非常に面白かったが、どこか美しさを感じさせた。
僕も多分たりない側の人間だ。塾の先生の方言を指摘したら、先生側から
「授業をしたくない」と言い出され、勇気を振り絞り手紙で告白しても
関わるなと言われた上に、僕がわざとぶつかってきただの、ストーカーまがいの
ことをされた等のデマを広められ、クラスメートの雑なイジリにも上手く返せない。どれも、自分に冷静さや慎重さ等があれば、解決できたかもしれない。
「たりないままでいいんだ」とあの漫才は、僕を励ましてくれた気がした。
僕がたりなくなかったら、この最高のコンビに出会えなかったし、ラジオも知らなかった。何の生きがいも見出せず、下手したら死んでたかもしれない。
本当に「たりなくてよかった」と思った。
だけど、僕はあの2人みたいに全力で何かにぶつかってないし、何かしらの武器もない。
多分これからの受験期も、大学生になっても、就職しても、僕は異なる足並みに
戸惑い、泣き、ラジオに助けを求めながら、たりてる側にいけるようにもがくのだろう。高校デビューしたら変われると思ってたと後悔したのに。
僕はこれからどうなるのか全くわからない。もしかしたら何の武器も手にせず、社会の大海に飛び込むかもしれない。だが、僕は2人みたいに、あるいは2人が言う「明日のたりないふたり」に少しでも近づけるように、頑張って足掻いてみようと思う。

山里さん、若林さん、本当に12年間お疲れ様でした。これからもよろしくお願いします。
どうか、たりないままのお二人でいてください。

長文駄文、失礼しました。

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