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2023年10月29日 「昔の◯◯さん(の作品や発言)の方が面白かった」についてちょっとだけ本気出して考えてみる

音楽や、漫画や、小説や、アニメ、お笑いなど、あらゆる創作分野においてよく言われることがある。
それは、「昔の◯◯さん(の作品や発言)の方が面白かった」「最初の頃の◯◯さん(の作品や発言)の方が良かった」というものである。

実際、確かにこういった現象はあると、私もこれらの分野の作品を楽しませていただている一消費者の立場として、僭越ながらも時に感じることがある。

しかし一方で、こういった疑問がどこかで浮かんでいる自分もまたいるのである。
「その創作分野に携わる時間が長くなればなるほどそちらに関する知識や技能というものは蓄積・洗練されていくはずではないか?なのになぜ、昔の方が◯◯さん(の作品)の方が良かった、面白かったなどということが起こるのだろうか?」と。

そこで、こういった現象がなぜ起こるのか?について、創作活動を一度も行ったことがない人間としての立場から、大変恐縮ではあるが、少しだけ本気出して考えてみることにした。

まず最初に思うのは、創作物というものの面白さは、自分自身の人生経験の要素が強く反映されるからであろうと思う。
それまでの人生での経験というのは、作品づくりをする上で、これから得られる知識や技能よりも、時に遥かに重要であるのだろう。
あえてこういう言い方をすると、人生経験というのはそれまでの自分の生涯をかけた壮大な「ネタ作り」のようなものなのではないか。
そして、特に初期の頃の作品においては、自身がこれまでの人生で特に印象強く感じた「ネタ」をそのまま反映させることができる。
それが反映されるからこそ、その作品にしかない強烈な面白さ・オリジナリティが生まれる。

しかし、その作品の次回作を作るうえで、第三者からはその前の作品とは何かしらの差別化要素を求められることが多いであろう。
また創作者自身としてもそういった要素を持たせたいという意気込みで望むことが多いように思う。
だが、その前の作品の「面白さ」の要素が、それまでの人生で特に印象深い経験が基になっているのであればそれは尚更難しいものになるだろう。
しかし、人生において強烈な、それも作品づくりの面白さに直結するような経験なんてそう簡単に、かつ数多くできるものではきっとないのではないか。
たとえその創作分野における知識や技能が経験を重なることで向上していき、それが「発想」を手助けすることになっても、創作活動を行う前までの人生経験から生まれる発想というものには、時に逆立ちしたって敵わないことだってあるはずだ。
そこにはある種の偉大さがあり、そして不条理さもまたあるように思う。

次に考えるのが、創作者自身の価値観の変化である。
創作者も当然一人の人間である。様々な経験を通じ、人生を生きていく上であらゆる価値観が変わっていくことは当然だ。
その中には、「自分が面白いと思うものやことの変化」というものもあるだろう。
かつての自分であれば面白いと感じていたものが、今では全く面白いと思えなくなったり、その逆で、かつての自分であれば全然面白いと思わなかったものが、今では面白いと思う、といったこともあるはずだ。
その価値観の変化というものは、創作物であったり、普段の何気ない発言においてもきっと大きく影響する。
しかし、その価値観の変化というものが、第三者の求めているものとのズレを生むことだって時にはあるのだろう。
その結果、「昔の◯◯さんの方が良かった」「最近の◯◯さんは面白くない」といったことに繋がる、というものだ。


最後に思うのが、そもそも知識や経験を積むことが、必ずしも創作物において良い方向に影響を及ぼすわけではないのではないか?ということである。
言うまでもなく、知識や経験を得るということは、創作活動に限らず、あらゆる分野において大切なことだ。
それらはあらゆる創作を行っていく上での基礎体力になるし、また、技能の高さにも直結する。
そしてそれらが創作物のクオリティに影響することは考えるまでもないだろう。

それに加え、「常識」や「規範」を身につけるということでもあるように思う。
もちろん「常識」や「規範」を身に着けておくことだって、あらゆる分野において大切なことだ。
しかし、時に面白い作品というのは、「常識」や「規範」の枠組みを外れたところから生まれてくることだってまた珍しくないのではないか。
「常識」や「規範」を知らなかったからこそ発想し、そして臆することなく形にできた。
そういったことは、分野を限定せずあらゆることにおいて起こるのではないか。それは、本人の意識の外において。

小沢健二の楽曲「ローラースケート・パーク」に、「ありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ」という一節がある。
小沢氏のアーティストとしての強い決心・心意気が伺え、とても好きな一節だ。
一方で「そんなバカなあやまち」と一蹴し続けるのも、実際にはとても難しいことなのかもしれない。
そもそも、「何も言えなくなって」いる自分がいるということに気づけないということだってよくあることなのかもしれない。

終わりに、繰り返しになるが、私はいわゆる「創作活動」(と自分が認識しているもの)を行った経験が現在に至るまでない。

なので、創作活動を行っている人々から見れば、まるで見当違いに思われるようなことをこの度書き連ねたかもしれない。
また、これから先、もし私も何かしらの創作活動を行うようなことがあり、そしてその時の自分から見たら、見当違いに思えることだってあるのかもしれない。

しかし、もしそうなのだとしたら、それは「創作活動」というものを行ったことがない今の自分だからこそ書けることであり、そしてそこには何らかの存在意義があるはずだ。
そういった気持ちのもと、ここに書き残しておきたいと思う。


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