飽き性

自分は飽き性である。新しいもの好きでよく言えば好奇心旺盛、流行に敏感。でも、最近は飽き性であることで人生の幸福度が低くなっているように感じる。

ここで一度、飽きっぽい性格の具体的な例を挙げる。
・新しい服、着るごとに魅力を感じなくなる
・音楽
・食べ物、朝食べるものとか
・髪型
・筋トレのメニュー
などなど

こうして挙げてみると、簡単に二つに分別できそう。
・外見にかかわるもの
・体で感じるもの、取り入れるもの

ではここからなぜ私は飽き性なのか原因を探る。
1,自分の中に明確な価値観、判断基準がない
流されやすい。snsでみた情報やファッション、流行に影響をされやすい。自分の中に確立された新のようなものがないから、良いものはすべて取り入れよう状態になっている。
このことは悪いことだとは思わない。でも、限りある時間・資源の中ですべてを得ることはできないし、中途半端は一番もったいないと思う。
流行に目移りするのではなく、自分の中の価値基準に従い、これと決めた道を進めるようになりたい。

2,慣れ
少し話はそれるが、新しい環境や、つらい環境に慣れることは素晴らしい人間の特性であるとともに、成長が止まる要因でもあると私は思っている。また、将来が何となく予測できるものは面白くない。
その一方で、慣れてきたからこそ見えてくる物事の本質、良さもあるということに私は気づかないといけない。視野が広がれば新しい景色が見えてくるし、細部を知ることができれば、さらに面白くなるかもしれない。
私は、一部を知っただけですべてを見透かしたような気分になりがちなのかもしれない。

3,マイナスな点に目が行く
これは自分の一番嫌な部分である。私は皮肉にも粗探しが得意なので、人や物のいやな点に目が行きがちである。だから、毒を吐くことが多いし、気分を害していることが多い。マイナスじゃなくてプラスの部分を見つめることが大事。それに加えてマイナスの部分を受け入れる。自分もできた人間じゃないのだから。人は変えられないから自分が変わる。

これら三つが飽き性の要因であると仮定したとき、ではどうしたら飽き性じゃなくなるか、いかに飽き性な自分と関わっていけるかが見えてくる。

まず一つは、常に変化を求め刺激を受けること。これは先述した内容の後者に当たる。飽き性であるからこうすることは必然である。また変化・刺激こそが自分の成長のスパイスになると私は思っている。自分が踏み入れたことのない世界に飛び込む瞬間こそが生を実感する瞬間だし、成長できる瞬間である。

もう一つは、要因1からわかるように自分の価値観を確立すること。
そのためには、歴史から学ぶ、人から学ぶことが大切だと思っている。また自分で考えて行動すること、人目を気にせず行動することも、オリジナリティある自分を形成するうえで大切だと思う。

じゃあ具体的に何するのかはまた次の記事で書きたい。

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