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ワタクシ流☆絵解き館その198 山幸彦豊玉姫神話に類似した説話が「旧約聖書」にある。

今回は、「古事記」の山幸彦豊玉姫の神話が、旧約聖書の「ヤコブ」の物語に構造がよく似ている、と言う論考を紹介させてもらって、その説話を題材に描かれた西洋絵画を見ながら、対比的に青木繁「わだつみのいろこの宮」を眺めてみる試み。
その論考とは、1968年、浪速社刊 藤井英男著「漂泊の民族/第2巻 神話篇」。たいへん興味深い著作だ。この記事は全面的にこの著作に負っている。

■ ヤコブとはどういう人なのか。

以下各種の聖書参考書によって記述。
ヤコブのことが書かれているのは「旧約聖書」である。「旧約聖書」とは、ユダヤ教の信者にとっての唯一の聖典。内容の本態は、イスラエルの民の歴史を記述している。
「旧約」の名の「旧」とはキリスト教徒から見た名付け。つまり、キリスト教徒は、「旧約聖書」を基に、そこに書かれた救世主をイエス・キリストだとして、それを新しく神との契約として記述し編んだ。それが、「新約聖書」である。
その「旧約聖書」に書かれたヤコブのプロフィールを極めて簡単に記せば、以下のとうり。
① 現在のイスラエルの地にいたヘブライ人の族長とされる。大きな財を成した。イスラエルの名は、神から告げられた彼の別名に基づいている。
② ヤコブの子孫 ( 4人の妻に13人の子 ) が、ユダヤ人と呼ばれ、ユダヤ教を信奉する人々となった。
③ ある夜、突然、何者かに捕らえられ格闘となるが、これに勝利した。しかしこれは神のなされたこと=いわば試験であり、この格闘のあと神からのお告げを受けた。
④ 晩年、行方不明であった息子ヨセフ ( 最愛の妻ラケルの生んだ息子 ) を探し求め、再会した地エジプトに一族で渡る。エジプトで110歳の生涯を終えた。

■ 類似点は何?

そういうヤコブの生涯と、「古事記」の山幸彦 ( 火遠理命 ) のどこに、上述の書、藤井英男著「漂泊の民族」は類似点を指摘しているか。先ず一点の絵を掲げる。
ただし、以下の図版はこの著作で挙げられているのではなく、筆者 ( 瀬戸風 凪 )が選んだ絵である。

ウィリアム・ダイス「ヤコブとラケルの出会い」1853年 ニューウォーク博物美術館蔵

別の画家の描いた、同じ場面の絵をさらに掲げる。

ラファエロ 「ヤコブとラケルの出会い」1818年―1519年 プラド美術館蔵

絵のタイトルにあるラケルとはこの出会いの14年後にやっと、思い叶ってヤコブが妻とした女性の名だ。ラファエロの絵の方には、もう一人女性がいる。これは、ラケルの姉レア。この姉の方が先に叔父の策略 ( 叔父は、ヤコブが7年間彼女のために働きさえすれば、ラケルを与えようと約したのに、婚礼の夜にラケルとレアを入れ替えたという手の込んだ話 ) でヤコブの妻となる。
しかしヤコブの意中の人は、ラケルの方。二人とも叔父の娘なので、つまりヤコブとはいとこの関係にある。
絵は、ヤコブが兄との家督を巡る争いで、叔父の国に赴いたときに、ラケルを見初める場面である。その場所は井戸のそばであった。

明治40年 青木繁「わだつみのいろこの宮」 油彩 重要文化財 アーティゾン美術館蔵

藤井英男著「漂泊の民族/第2巻 神話篇」が挙げるふたつの物語の類似点は以下のとおりだ。
1.
ヤコブは兄のエウサに追われ(原因はヤコブが兄から策略で相続権を奪ったため)叔父の国へ逃れる。他郷への脱出山幸彦は兄海幸彦の釣り針を失くして怒りを買い、釣り針を捜しに、海神の国へゆく。
2.
ヤコブはその国へ行ってすぐ、井戸のそばでラケルを見初める。山幸彦はその国へ行ってすぐ、井戸のそばで豊玉姫を見初める。
3.
ヤコブはその国に滞在し思いの人、ラケルと結婚、一子をなす。⇒山幸彦はその国に滞在し豊玉姫と結婚、一子をなす。
4.
ヤコブはその後国に帰り、兄と和解する。⇒山幸彦はその後地上に帰り、兄との戦いに勝ち、和睦する。
5.
ヤコブは、神から与えられた名でイスラエルと呼ばれるようになり、ユダヤ民族の正統の祖となる。山幸彦 ( 火遠理命 ) は大和朝廷の皇祖となる。豊玉姫の生んだ一子ウガヤフキアエズノミコトの子が神武天皇。

こうして並べて見てゆくと、ヤコブとラケルの出会い、山幸彦と豊玉姫の出会いは、ふたつの物語には、原点とも言える重要な場面であることがよくわかる。
「旧約聖書」「新約聖書」が、暮らしの中にある民族には、この場面は、繰り返しイメージされ、さまざまに描かれる画題であるようだ。
さらに、ヤコブとラケルの出会いの場面を描いた絵を見よう。

フランチェスキーニ「井戸端のヤコブとラケル」1693年ー1694年 リヒテンシュタイン美術館蔵
ルイ・ゴーフィェ「ラバンの娘たちと出会ったヤコブ」1787年 ルーヴル美術館蔵
右が姉のレア

なお、藤井英男著「漂泊の民族/第2巻 神話篇」では、下の絵を、参考図版に挙げている。

「漂泊の民族/第2巻 神話篇」井戸端の邂逅 「チルドレンバイブル」より

■ 民族の物語の記念碑としての場面

今回は、「わだつみのいろこの宮」にこれら、ヤコブとラケルの出会を描いた絵やそのイメージが、影響を与えているとは言わない。
ただ、青木は
「矢張、猶太 ( ユダ ) の舊約 ( きゅうやく )、印度の吠陀 ( ヴェーダ ) が一番立派でせう」
と「旧約聖書」に関心が深ったことを述べている。「旧約聖書物語挿絵」(明治40年―(1907年)、金尾文淵堂出版の『旧約物語』の計八枚の挿絵 ) という感性がほとばしる仕事もある。
ヤコブの物語は、青木の知識の中に入っていたのは確かである。
青木は、西洋の伝統的な多くの絵が、宗教説話を民族のアイデンティティととらえて画題としていることを学び、自らもまた、「わだつみのいろこの宮」に、日本民族の物語の記念碑としての場面を描く意気込みを込めたのであろう。
                     令和4年11月    瀬戸風  凪


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