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ワタクシ流☆絵解き館その79 インド美術もその水源にある青木繁「わだつみのいろこの宮」。

青木繁は、「(どこの神話でも好きですが)ユダヤの旧約(※筆者注「旧約聖書」のこと)、インドのヴェーダが一番立派でしょう」と述べている。
インドのヴェーダとは、ヒンドゥー教の聖典を意味している。この発言から、青木がインドの宗教絵画に大きな関心を持ち、絵の着想において、影響されたと考えることができる。
その関心が、「わだつみのいろこの宮」に及んでいることを今回は探ってみたい。
先ずは「わだつみのいろこの宮」制作の前年に描いた「神話」(挿図②)で見てみよう。この絵は、所蔵館である河村美術館の解説によれば、どういう神話が出典なのか不明という。
比較に用いたラジャ・ラヴィ・ヴァルマ(1848年4月29日 - 1906年10月2日)という画家は、インド美術を代表している画家だ。ヒンドゥーの文化に関心を持ったとき、必ず目にする画家でもある。
その作品、挿図①の絵では、巌頭に立つ神が放射状の後光を放っている構図に、挿図②の絵では、若い女の、縁取りのある衣装や、祈りを示しているらしいポーズ、男女の組み合わせの雰囲気に、青木の「神話」が類似性を持っているのを感じとれる。

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次に、青木の「享楽(右隻)」(挿図⑤)を、同じくラジャ・ラヴィ・ヴァルマの絵(挿図④、⑥)に並べて見てみよう。楽器を持つ、赤い衣装の女性のポーズがよく似ている。
西洋絵画にも楽器を持つ女性のポーズはあるが、ここまで類似するものはない。

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それでは、「わだつみのいろこの宮」と青木の上記2作品で比較してみよう。
「わだつみのいろこの宮」の豊玉姫(挿図⑧「わだつみのいろこの宮/下絵」1907年 栃木県立美術館蔵)の赤い衣は、かつて描いた「享楽(右隻)」(挿図⑦ 掲げたのはトリミングした部分)で用いた赤い衣が脳裏にあって、そのアレンジで出来上がったのではないか、ということをこの絵解きシリーズで述べた。
「神話」の女神の姿も、「わだつみのいろこの宮」の下絵(挿図⑧)の豊玉姫の装飾品や、肌の露出具合、立ち姿などに持ち込まれているようだ。

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この絵解きシリーズでは、青木の作品「運命」「水浴」が、「わだつみのいろこの宮」につながってゆく過程を探ってきたが、ラジャ・ラヴィ・ヴァルマの絵に代表されるインド、ヒンドゥー教の絵画が、青木のいくつかの作品に影響を与え、さらに自作品の発想を総合する過程を経て「わだつみのいろこの宮」に届いているという気がしている。
溢れ出る天与の才と創作欲が、「海の幸」という誰も描けない極めて個性的な作品に結実しているのは紛れもないことだが、「わだつみのいろこの宮」こそが、東京美術学校修学時代以来の青木がめざした画業の集大成である。
そのいわば畢生の大作と言っていい「わだつみのいろこの宮」が、東京府勧業博覧会で正当な評価を得られなかったことは、青木には全画業を否定されたような思いであったのだ。
「わだつみのいろこの宮」以降の青木の創作は、憤りの果てに敗北を受け入れて、もう一度自分の絵の礎を築く営みであった。
生計の術として、絵を描くことしかなかったという事情は否定しないが、渾身の作が葬り去られたのちも筆を断たなかったのは、自分の画才の赴く処、どこまででも絵とともに生きようという覚悟が、間違いなくあったからであろう。
最後に改めて「わだつみのいろこの宮」完成画を掲げる。
                                   令和3年11月     瀬戸風  凪

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青木繁 「わだつみのいろこの宮」 1907年  アーティゾン美術館蔵

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