和歌のみちしば ― 若山牧水「白鳥はかなしからずや」
🔷 自らの心に問いかける「かなしからずや」
「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」
近代短歌の中で最もよく知られ愛唱されるこの歌は、若山牧水が早稲田大学在学中、23歳の時に詠まれた。当時の恋人園田小枝子との恋が背景にあるのは、歌に添えられた「女ありき われと共に安房の渚に渡りぬ われその傍らにありて夜も昼も断えず歌う」という詞書から明確である。
この歌が、人々の心に強く呼びかけて来るのは、白鳥に向けられながら、その実は自問にほかならない「かなしからずや」という思いが押さえようもなく迸った言辞に魅せられるからだ。
もしも
「白鳥はかなしきさまに空の青海のあをにも染まずただよふ」
「空の青海のあをにも染まらざる白鳥をひたかなしく覚ゆ」
といった断定的で静かな観照の詠み方であれば、強い誘惑を持たない歌であったと思う。
歌に凝縮された思いを散文に翻案するのは、歌の世界をせばめるものではあるが、こういう心境であろう。
🔶 牧水もまた‥‥明治の青年をときめかせた 詩集
園田小枝子との行方見通せない清廉な恋の熱が、牧水の詩情を揺すり上げ、恋情と一体になっていた。逢引きの間に見る情景の何もかもが、牧水を嘆かせ、甚ぶらせ、昂らせ、そして酔わせていた。
この密かな逢瀬は、逸楽の歌よみ人として生まれ出でんとしていた牧水の詩魂の濫觴 ( らんしょう ) となったのだ。
swan song=白鳥の歌( はくちょうのうた )とは、白鳥が死ぬ際に美しい声で鳴くと信じられることから、芸術家が亡くなる直前に残す人生で最高の作品を表す形容である。
これから歌人として飛び立ちゆこうとするときにあって牧水は、肉欲を持つ身の煩悩がもたらす因果として、我から去りゆく稚い魂を送るために、奇しくも白鳥の姿を詠むことで、美しく鳴いたのである。
この歌は、萬葉の和歌ぶりの企みのない絶唱ではあるが、歌の詠まれた時代を思うとき、浮かんで来る文学作品がある。
『於母影(おもかげ)』である。森鴎外らの文学グループである新声社同人が、ゲーテ「ミニヨンの歌」や、シェークスピア「オフエリアの歌」をはじめ、ハイネ、バイロンなどの作品17篇を翻訳した詩集で、1889(明治22)年8月に雑誌『国民之友』に載った。
文学を志す者がこぞって読み耽ったと言っていい画期的なこの詩篇を、1885(明治18)年生まれの明治時代の青年牧水もまた熱読したであろう。
この詩篇の中に、若き牧水の詩嚢を肥やし、「白鳥はかなしからずや」一首と、さらにはこの短歌の収録された歌集『海の声』に出る次の二首あたりにも響いていると思う詩がある。その詩も『於母影(おもかげ)』から引用し示す。
この詩を原典としていると言いたいわけではない。詩の醸し出す情緒が、牧水を大いに刺激したであろうと思うのだ。詩の中で、特に響き合う詩句を太字表記し、牧水の歌に冠した番号を添えた。
1897(明治20)年 春陽社刊 島崎藤村の処女詩集「若菜集」は、明治の青年たちに大いに読まれた作品で、牧水の座右にもあったであろう一冊だと思うが、その詩篇の一編に、「戀の激波 ( おほなみ )たちさわぎ」 の詩句があり目に止まる。鴎と、波と、恋情と。この組み合わせは、「白鳥は」の歌
の母郷にも見えて来る。
【注記】タイトルの「みちしば」は道芝で、道案内の意味を持つことばです。 令和6年3月 瀬戸風 凪
setokaze nagi
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