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ワタクシ流☆絵解き館その159 青木繁素描「混沌」―「ヴィーナスの誕生」のインスピレーション。

青木繁には、1902年から1904年が制作年と推定される「混沌」「運命」と題した絵がある。絵柄の似た二枚に、明らかなつながりが何処にあるのかを判断するのはむつかしい。
今回は、そのうちの鉛筆素描であり、幻想画のエスキース(構想下絵)らしき「混沌」(下の図版の上段の絵)について考えてみる。
間接的に後年の制作、「わだつみのいろこの宮」への水脈を持つ絵かもしれないが、直接にはこのエスキースにつながる完成画はない。

■浮かんで来たのは、ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」だった

その理由は、「ヴィーナスの誕生」の空中で相添った二人の存在(風の神ゼフィロスと花の精霊フローラ)と、そこから起こる風の流れのイメージが、「混沌」にもトレースされている気がしたからだ。
「混沌」の方にも、重なった人影が見えて来るし、二人の動きが、立ち上がる波の曲線のイメージにつながっている。「混沌」もまた、海の上を舞台にしているのではないだろうか。
なお、青木のいた時代には、美術家、画家にはボッティチェリも「ヴィーナスの誕生」も、すでによく知られていた。

「ヴィーナスの誕生」では花びらが空中を舞い、周囲に広がる。「混沌」の方は、何かは特定できないが、珠とも、水のしずくとも見える小さな球体が、二人の指先から撒かれ、辺りに散ってゆく。似通ったたイメージをそこに感じる。
「ヴィーナスの誕生」では、主役ヴィーナスと、女神のホーラが、風を受けて、その髪は激しく波打つ。「混沌」では、左側の三人が、珠らしきものの霊力を受けて、身をくねらせている。構図として単純に眺めれば、両者は同じ要素で成り立っている。

■空を飛ぶものを描こうと構想したのか? 同時代に似た発想を持っていた日本人画家がいる

青木の「混沌」の人物は、空中には浮いていないのだが、今にも飛び立ち空間に漂う存在に見える。
空に浮くもの、空を飛ぶものは、西洋の絵画では頻出する。宿命や未来を告げる存在である神の使者(例えば大天使ミハエル)を、日本の物語の中に置き換えて絵画化しようと青木は構想しているのではないだろうか。そう考えるとき、「混沌」に似た図柄の油彩作品「運命」とは、(運命を告げる使者)の意味において、底流する想念があると思われてくる。

青木が「わだつみのいろこの宮」を出品した東京府勧業博覧会に、白馬会の第10回記念展に出展したこともある小林千古は、下に掲げた絵「誘惑」を出している。
この絵は寓意画。西洋列強に圧迫される明治の弱小国日本、それを止めんとする精神を、海外の生活で外から故国を見つめて来た千古は、目隠しされた娘、巧みに手を引く悪漢、救いの手を差し出す天女によって表現している。
空を飛ぶものを、日本の物語として考えれば、天の羽衣伝説の天女や、あるいは来迎図に見る天女、または奇抜な図柄の騎龍観音になるだろう。小林千古の絵も、それに従って違和感の少ない天女を配したと言える。

たとえば、青木が影響を受けたことを自らも述べているシャヴァンヌの「夢」(下の図版)には、青木の「混沌」と同じように、空を飛びながら、何か(この絵では幸福のコインなのだが)を撒いてゆく女神が描かれている。

ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ 「夢」 1883年~1883年 ウォルターズ美術館蔵

■意気込みに満ちた(混沌)の胸中

「混沌」の中の二人が撒いている球体を何と見るかで、この絵の示すものが変わってくるのは確かだ。何かはわからないというしかない。
しかし、二人のデフォルメされた非現実的な姿からみて、呪術(じゅじゅつ)的な行為の象徴として、その球体が選ばれていると思う。

「ヴィーナスの誕生」が、豊穣、幸福、愛を表現した絵であることが、若い青木の胸に響いていると思う。
「混沌」を描い頃の青木は心機充溢のときであり、第一回白馬賞を受けて、創作に邁進していた時代だ。
タイトルの「混沌」は、すなわち明確な形を整え得ない熱い思いと見るべきだろう。軽い鉛筆素描にも、己の天分を世に示そうとする若い、新進画家としての思いが自然に流露している。
                  
                    令和4年7月   瀬戸風  凪


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