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ワタクシ流☆絵解き館その223 青木繁迷路💡第二編・これがヒントを与えた絵?

筆者なりの、青木繁の絵の着想に影響した作品探しは、この絵解きシリーズで何本も記事にしてきたが、尽きない面白さがある。どこまで掘っても、まだまだ根っこに届かない教養の深さが、青木繁にはあるからだ。
筆者の解釈ではなく、美術史の学者先生や研究者たちの指摘による、青木の諸作品との類似点が見られ作画のヒントになったという作品のうち、ぜひ紹介したいものをピックアップした記事の続編。その第二編目。

■「日本武尊」の着想に影響した絵として

◎ 中村義一 1973年3月宮崎大学教育学部編「宮崎大学教育学部紀要《青木繁の芸術についての覚書1》」での指摘より。
中村義一先生は、美術史教授。イギリス19世紀美術と明治美術の関係を研究していて、『 近代日本美術の側面明治洋画とイギリス美術 』( 造形社 1976年 ) などの著作がある。

【左】青木繁「日本武尊」東京国立博物館蔵  【右】エドワード・バーン=ジョーンズ
                      「聖ゲオルギウス」 1873年-1877年

■「わだつみのいろこの宮」の着想に影響した絵として

◎中村義一 1973年3月宮崎大学教育学部編「宮崎大学教育学部紀要《青木繁の芸術についての覚書1》」での指摘より。

◎ 植野建造 1987年12月 石橋美術館館報「青木繁《わだつみのいろこの宮》をめぐって」より。
植野建造先生は、石橋美術館から福岡大学人文学部文化学科教授へ。長く青木繁研究を続けている第一人者。

左】青木繁「わだつみのいろこの宮」1907年 アーティゾン美術館蔵 
 【右】エドワード・バーン=ジョーンズ 「キリスト磔刑図」原画 1887年
エドワード・バーン=ジョーンズ 「キリスト磔刑図」ステンドグラスと原画 1887年

■「大穴牟知命」の着想に影響した絵として

◎ 1955年 矢代幸雄 新潮社刊「近代画家群」より。
矢代幸雄先生は、美術史家、美術評論家。『日本美術の再検討』( 新潮社刊1978年 )などの著作がある。
上述の本の中で、青木作品の特性に近い存在として、ロマン性の視点から、ウジェーヌ・ドラクロワの名を挙げ、下の「ダンテの小舟」などを例に引いている。

ウジェーヌ・ドラクロワ「ダンテの小舟」1822年から1822年 ルーヴル美術館蔵

「大穴牟知命」は、「ダンテの小舟」の絵柄や感覚に通ずるかもしれない。

青木繁「大穴牟知命」1905年 アーティゾン美術館蔵

■「海の幸」の着想に影響した絵として

◎ ジ ョン・ クリスチャン「青木繁 とラファエル前派」 (「青木繁=明治浪漫主義とイギリス展」図録所載 1983年石橋美術館 ほか編 )より。

高阪一治先生が「青木繁の 『狂女』考  A.ベ ックリーンとの関連より見たひとつの試み―(平成 5年)」という論考の中でこう述べている。
高阪一治先生は鳥取大学の美術史の教授。

「この引用文 ( ※青木繁の文章「藝術の成立と裸体製作」のこと ) のすぐ後に、青木がベックリーンの名を挙げていることからすると、こうした推測もあながち無謀とは言えないであろう。加えて、「情趣を」以下この引用文末までの文意に照らせば、名を挙げていないながらも、青木が、ベックリーンのことを大変高く評価していることがわかるのである 」
「青木の書いたものを眼にしても、概して言えば、やはり英仏19世紀後半の絵画が、受容の中心を占めたと言わねばなるまい。しかしその一方で、先にも見たよう、ドイツ語圏の美術が、ベ ックリーンを中心として注目されたことも事実である」

下の絵のハンス・フォン・マレーズ(1837年12月24日 – 1887年6月5日)は、ドイツの画家である。

ハンス・フォン・マレーズ 「航海する漁師」 1873年 ナポリ水族館フレスコ画
青木繁 「海の幸」 1904年 油彩 アーティゾン美術館蔵

                                      令和5年2月  瀬戸風  凪
                                                                                                     setokaze nagi


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