ワタクシ流☆絵解き館その246 青木繁「漁夫晩帰」にもう一人の人物が見える
🎨 評価の高くない絵を改めて眺めてみると
「もはや《海の幸》あたりの軒昂たる活力は見られない。彩調はずっと細かく自然主義的になり、何か一種の敗北感が滲まないでもない」( 集英社・現代日本美術全集7青木繁 解説・河北倫明 ) といったところが、青木繁の晩年の制作「漁夫晩帰」のおおよその評価である。
しかし、青木がこの作品に情熱を込めたことは疑い得ないと思う。その考えからじっくり眺めていて、描線がかすかに残っていることに気づいた。
それは、青木が構図を熟慮した証であると思う。
🎨 人物に見える描線が残っている
上に掲げた図版より、やや明るさとコントラストを変えて、上述した描線がわかりやすくしてみた。赤い線で囲んだ矢印のところに、描線が残る。
背後の風景を描くための下描きの線としてはなじまない、違和感のある描線に見える。
その部分をアップしたらこんな感じ。波を示す斜線に対し、縦の線が入っていて、画家のサインの部分にまで続いている。上部の丸みのある線と併せてとらえたとき、人物の輪郭に思えて来る。
全体図に戻り、描線を黄色でおおまかに示すとこういう雰囲気だ。
アップで、描線を黄色の線でたどってみた図版。以下絵の上から順に3点。
🎨 「海の幸」にも人物の描線が見える
下の図版は、「海の幸」の最後尾部分だ。青木繁は、「海の幸」においても、人物の輪郭線を消し残している。画面いっぱいに、人物を描きこもうという発想があったことがわかる。
同じ発想 ー 人物が所狭く並ぶ姿という構図を、「漁夫晩帰」でも考えていたのか。
🎨 下絵では、女性の向きが違っている
ここで、「漁夫晩帰」の下絵に眼を向けると、右端の女性は、並んで歩いている完成画とは異なり、体も顔も正面向きで、男たちを迎えている様子に見える。
その構図と、完成画「漁夫晩帰」に残る人物らしき描線とを重ね合わせて考えた時に浮かんで来たのは、改変した下の図版のように、女性の内一人は、男子たちに向かう姿で、発想したのかもしれないということだった。
その発想が、描線として残っているのではないかという推測である。
完成画「漁夫晩帰」の構図は、制作依頼を受けてから、実際に青木が取材をして見たものではなく、主に、4年前の布良での見聞が主体をなしているだろう。だから、人物の向きなどは、構図の納まりの問題だけであったと思う。
改変してみたこの構図も面白いと思う。しかし、夫婦を思わせる男女がともに帰宅方向に向いている構図に、依頼主の望みに適うものを感じ取ったのであろう。
🎨 余話 男の褌の柄は何だろう?
ここからは余話であるが、褌の柄が気になっていて、矯めつ眇めつ眺めていて、そうだ舟橋だ!と思った。舟橋はめでたい図柄で、「舟橋夕照」という形容で古来、歌に詩に詠まれてもきた。
清力酒造からの依頼を受け、応接室に飾る目的の制作であるから、めでたい図柄を配したのかもしれない。舟橋がどういうものかは、下の広重の浮世絵から想像してほしい。架け橋のない処に、舟を並べ板を渡したものだ。
博学の青木繁だから、絵の夕景に関連させて「舟橋夕照」としているのかもしれない。
また、清力酒造の銘柄の図案も示しておく。以前の記事で触れたが、姉さん被りの手拭いに、この図柄を使っているかもしれないとも思うので。
令和5年10月 瀬戸風 凪
setokaze nagi
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?