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ワタクシ流☆絵解き館その190 「白馬賞」青木繁・幻の受賞作品へのアプローチ③⇒「吠陀の研究」

青木繁が出品した15点の作品の斬新な着想が評価されて、「白馬賞」を受賞し、その名が世に出た明治36年第8回白馬会展。
しかし伝わるのは3作品のみで、あとは全く詳しい内容も所在も不明。その伝わらない作品を探る続篇。
天才画家の、時代から超越していた画想をひもとくのは、藪の繁りの中に灯りもなく迷い入るようなものだが、せめて、こんな世界を描いたのではないかという辺りを作品目録に残るタイトルを糸口に探ろう。
学術的文献的根拠などはもとよりないので、青木好き病が抉じた大いなる妄想の産物としてお笑いいただきたい。

■ 「白馬会展」出品目録306、315、319「吠陀の研究」とは?

吠陀―「ヴェーダ」と読む。
ヴェーダは壮大な知の集積で広汎かつ難解。筆者には手に負えない代物だ。
筆者の浅い理解でしかないが、ヴェーダとは、この世の自然、つまり天、地、水、太陽、火などを、人の生命、精神を司る力の源として神聖視する思想、いわゆる自然神崇拝を柱とした古代インドの宗教で、ヒンドゥー教へとつながっている古代バラモン教の聖典である。

目録に残る題名は、その「吠陀」の「研究」という抽象的なものだ。若い青木を引き付けたヴェーダの説話とは何だろう。
直感でしかないが、若い日の青木は、島崎藤村を耽読するような詩文好きだったことから考えて、ヴェーダの中でも、「リグヴェーダ」という神々への賛歌である諸詩篇がもっとも近づきやすく、ゆえに最も読み込んでいたのではないだろうかと思っている。

その考えから以前の記事、「ワタクシ流☆絵解き館その109 青木繁「海の幸」⑳太陽神信仰への共感と羨望」で、青木繁の「輪転」を、「リグヴェーダ」で讃えられている、曙の女神ウシャスへの賛歌からイメージしたと解釈した。
この記事の中で「輪転」で描いた曙の招来を寿ぐイメージが、すぐあとに続く作品「海の幸」に連鎖していることも述べた。いわば「輪転」もまた、「吠陀の研究」と副題をつけるべき絵なのではないかと思うのだ。
noteクリエイターで、ヴェーダに精通した人に、ぜひ青木繁の「輪転」を見てもらいたいと思う。ピンとくるところがあるのではないだろうか。

青木繁 「輪転」 油彩 明治36年 アーティゾン美術館蔵

つまり、筆者の解釈するその例から考えれば、「リグヴェーダ」諸詩篇のいずれかをもとに、青木は「吠陀の研究」というタイトルで目録に載る作品を描いたのではないか思う。

■ 「リグヴェーダ」に讃えられた水の神アーパス

筆者の想像している結論を先に言おう。
「リグヴェーダ」に出てくるアーパスまたはアプとも表記する水の女神 ( アーパスはアプの複数形 ) をイメージした絵が、出品目録306、315、319の3作品のどれかにあるのではないだろうか。
アーパスは水そのものを神格化している。アーパスが生み出す天上の水は、酒ではないが、滋養に満ち、興奮と活力をもたらす霊水ソーマのもととなる。
「リグヴェーダ」におけるアーパスがどう讃えられているか詩句の一部を引用する

「アーパスよ、運び去れ、わが身のいかなる過失をも、またはわが犯したる欺瞞をも、あるはまた偽りの誓いをも」
「アパースよ、医薬を授けよ、わが身体のために掩護物として、また長く太陽を見んが(※長寿の意味)ために」
「汝らの最も吉祥なる液、われらをしてここにその分け前を得しめよ、愛情ある母親が乳を与うるごとく」

『リグ・ヴェーダ その二(一〇・九)より抜粋

その賛歌が示すのは、アーパスは、慈愛に満ちた母、天上の母であり妻であると讃えられ、生物や無生物を産み、病気を治し、浄化し、長寿を与えて、人間を繁栄に導く神であるということだ。

ではなぜ、青木の「吠陀の研究」がアーパスをイメージした絵だったと考えるか。その理由を下に示す。

その1.
「白馬賞」の対象となった絵で現存している一枚が、水彩の「黄泉比良坂」である。その絵の要素には、黄泉へ引き戻そうと追い来る黄泉醜女に、モモノミを投げてイザナギは逃げ切った、というストーリーがある。
それは、イザナギが持つことで、生っていたモモノミが黄泉醜女たちを惑わす黄金へ変わった、ということを意味している。
神の霊力により、もとからそこにある物が、不思議な力を持つ物に変わるわけだ。

青木繁「黄泉比良坂」水彩 明治36年 東京藝術大学大学美術館蔵

◎その2.
「古事記」への関心が続いていた青木は、明治38年には「大穴牟知命」という大作を制作する。
この絵の重要な要素もまた、キサガイヒメ、ウムガイヒメガが、貝の汁を溶いて霊薬にして塗り付け、大穴牟知を蘇らせるというところにある。神霊なる液体の効力が、死を凌駕するのである。

青木繁「大穴牟知命」油彩 明治38年 アーティゾン美術館蔵

上の二点は、「古事記」から材を得ているが、青木のヴェーダへの関心も同時期に並行している。
その関心の核に、神の霊力が、人智を超えて大きな幸をもたらす場面への尽きない興味があったと思うのだ。その場面を絵画化しようとしたと考える。

◎その3.
青木は、白馬会賞の「吠陀の研究」を描いた頃、水が渦巻く背景と人物の組み合わせのデッサンを繰り返し描いている。その一例を下に掲げる。
何か幻想性を持つ場面である。
明治37年の油彩の「運命」もまた同じ感覚を描いている。水、水泡、波、そういった現象が、何か大きな、妖しい力を生み出しているという様子が、主要な題材になっていると言える。この関心は、やがて海底の運命的な出会いを描く「わだつみのいろこの宮」へと連鎖していったのだろう。
それは「リグヴェーダ」の水の女神アーパスにつながる興味のあり方と思える。

青木繁「發作其一」「發作其二」明治37年頃
青木繁「運命」明治37年 東京国立近代美術館蔵


                 令和4年10月   瀬戸風  凪

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