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ワタクシ流☆絵解き館その140  フェルメール「小路」―中庭の空を抱いた風景

ヨハネス・フェルメール 「小路」 1657-1658年 アムステルダム国立美術館蔵

◆「小路」の何に惹き付けられるのか

構成要素を分類してみたのが下の図版。区分Cは、窓のわずかな凹凸はあるが、平面的な部分で、絵の中では大きな壁の働きをしている。区分Bは、建物が重なる奥行きのある部分だが、建物の大きさの差、色彩の濃淡の差は大きくなく、あえて遠近法の効果を薄めているようだ。区分Cは、帯のようなベタッとした部分。
つまり、BCDはひとかたまりとなって、くり抜いたように描かれている区分Eの、中庭へと続く路の奥行き感を最大限に高めていると言える。
そして、区分Eにちらりと見えている建物裏の中庭から、建物に囲われているであろう小さな空が、区分Aの広々とした青空に響き合っているのを、無意識のうちに感じ取るのだと思う。

◆ 絵をアレンジするとどう見えてくるだろう

上で見たように、中庭へ続く路と婦人が、この絵の鍵と言ってもいい部分だが、その部分を扉で閉ざして消してみたのが、下の図版。
感覚的すぎるかもしれないが、中庭の上の空が消えたせいで、背後の空が遠くなり、前面の建物と人物が作る情景とのハーモニーも弱くなった気がする。
この絵から誘われる視点も、建物に対して正面からだけのものになり、急傾斜の屋根の家並みを描いた効果が半減する。

次に、蔦を消してみる。元の絵では、この建物には住む者がおらず、ゆえに蔦が伸び放題になっているのではないかと想像させることで、右半分の母か祖母らしき婦人がいて、こどもたちが屋外で遊んでいる家庭的な情景に、より温かみを与えているのがわかる。
伸び放題の蔦がないと、固く閉められている扉からだけでは、しばらく住人がいないのではないかとまでは想像させない。

◆ 時代を超える「生活感」が描かれている

家の壁の下部分が白いのは、夜間の視認度を高める工夫ではないだろうか。この白い塗装が、上部の煉瓦色との際立つ対照の面白さを見せているだけでなく、微妙な濃淡によって、暮らしの中で、そこに人の手がつねに擦れているだろうという想像をもたらす。

「泰西名画」という改まった呼称が似合わしくない絵、それが「小路」。ここに描かれているのは、いかにも近世ヨーロッパらしい建物風景だけれど、そういう特異性を超えて、どの国にも、そして今日現在にさえ置き換えることが出来そうな、安らいだ、長閑な、普通の時間だと思う。
フェルメールは、この絵の情景に何度も繰り返し出会っていただろう。そう思わせるほど、同じことが展開する日常そのものの情景に見える。自分の暮らす街を描きたいという思いの中で、実った果実が落ちるように出来た作品だろうという気がする。
自分が画中のこどもだと思っても、あるいは窓辺で繕いをする夫人だと想定しても、こんな優しい昼下がりは、ほんとうに短く過ぎてしまうのが人生という愛惜の気持ちを呼び起こされる。だから少しさびしい絵でもある。

                                                      令和4年5月     瀬戸風  凪


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